いやに長い「道程」だな、と思いながら読んだ。 ふむふむ、なるほど。 しかし、それにしても長すぎるんじゃないのか、これ。 読み終えてから、改めて中央公論社版の「日本の文学 17」を引っ張り出し、広げてみて驚いた。 まさに、「なんだ、こりゃ」だ。 中央公論社版の「日本の文学」に掲載されている「道程」は、最初の数行と最後の数行を残しただけの、実に簡略なものに改変された詩になっている。 全部でたった9行だ。 いや、これはもはや、改変なんてものじゃなく、ただの抹消というべきものだが、そうはいっても、その抹消が、日本国民の誰もが口ずさめるほどの卓越したフレーズに繋がったわけなのだから、ゆめゆめ軽んずることなど出来はしないが、元の冗長な詩を知ってしまったら、この削除は異常な感じがしてならない。 これじやあ、まさにヒステリー的な削除と勘ぐられても仕方ない。 この詩の感想を書いてた人の中に「父」を「自然」と読み替えて解釈している人がいたが、むしろ、自分は読み替える必要などない、まさに父親そのものを指していると考えている。 父·高村光雲は、江戸下町の寺社関係の彫刻師で、いわば職人の出、維新の廃仏毀釈のために一時仕事がなくなったが、時勢の奇妙な巡り合わせで芸術家になってしまった人だ。 その息子が高村光太郎で、お陰で恵まれた環境で育ち、生活の苦労も知らず、なに不自由なく育った御曹司だ。 だから、光太郎のやること為すこと常人には計り知れないような突飛なものがあって、たぶん、そういうところが芸術家に向いていたのだろう。 光太郎は父親の財力のお陰で洋行して見聞を広め、箔もつけたが、生活者としての自立はできなかった。 かなりの年齢まで、親から金の面倒をみてもらっていた。 そのくせ、自分の詩を雑誌に投稿する時には、雑誌協力料みたいなものを同封しているのだから、生活者として感覚のズレたるや甚だしいものがあることは本人も十分に分かっていて、そのズレを詩を書くことで埋め合わせ誤魔化した。 それら詩を、まとめて出版するさいに整理しなければならなかったのが、あの「道程」の削除した雑言の部分だ。 父親が亡くなるまでその影響下にあったくさぐさの思いを直裁に語ることが憚られた抽象化が、詩文に向いていたともいえる。 そういう父親に頭の上がらないような男との同棲が、如何なるストレスだったか、智恵子の「神経」に聞くすべは、最早ない。
自然が親ってわかるような、わからないような。
自然を表現するとき母を比喩する。然しここでは父としている。自分で道を切り開いていく困難さを象徴しての事だろう。