「生きている忠臣蔵」の感想
生きている忠臣蔵
いきているちゅうしんぐら

――忠臣蔵は何故流行するか――

――ちゅうしんぐらはなぜりゅうこうするか――初出:「文藝春秋 昭和二十九年十二月號」文藝春秋新社、1954(昭和29)年12月1日

尾崎士郎

分量:約17
書き出し:傳承三百年忠臣藏を上演、もしくは上映すれば必ず大當りをとるといふのが今や一定不變の興行常識とされてゐる。原作者の竹田小出雲(二代目出雲)も、これだけの魅力と影響力を後世に持續し得るとは夢にも想像しなかつたであらう。(事實は三好松洛と、並木千柳との共同製作であるが)その流行の底に潜む秘密は今日といへども的確な判斷を下されてはゐない。人はしばしば、作品の樞軸をなす世俗的な倫理觀を問題とする習慣だけを肯...
更新日: 2024/04/29
19双之川喜41さんの感想

 内藏之助が 女中に生ませ 幼児から 寺に預けられて 育った 大三郎は ①政治を 侮蔑した。②仇敵でないものを 仇敵とした。③市中を 騒がした。④要臣を 殺害した。⑤悪例を 残した。⑥30人位に 対して 多数で 押し込んだ。⑦仇討ちの 順序を 踏んでいない。等の 理由を挙げ 仇討ちに 批判的である。著者は 「忠臣蔵」は 人情の 影を写す 流れであると するけど 日本人では ないものが 参加していた ことには 敢えて 触れていない。史伝は 今も 昔も  自分だけに 都合の良いことを かき集めて 作り上げる ものかなと感じた。婚外子の 屈折した ひがみ 根性と 切って 捨てるには 傾聴すべき点が 多いのである。

更新日: 2023/04/21
ba5194e78df6さんの感想

知らない知識を、知りました。