小泉八雲
考えすぎは世迷い言を生む。マルクスがその一例。 真理は簡潔なもの。
昔 京都の愛宕山に 六本の牙のある 白象に 跨がった菩薩が 深夜に 現れるというので 猟師は 高僧と共に 出現を待ったけど こともあろうに 弓で 菩薩を抜いてしまう。 ところがという 筋立てである。 八雲にしては 理屈のたった展開であり むしろ 題名は 「地頭」 (じあたま)の方が 相応しい様な気がした。 猟師だけの 判断力だからである。