その滝の前にある 賽銭箱を 持ち帰れば 滝まで 行ってきたと言う 証になる。 背中に 赤子を 背負った 女が 欲に駆られて 箱とともに 仲間のところに戻ってきた。 途中で 大声で 脅かされたけど とにかく 切り抜けて 帰り着いた。 赤子と女の 心細さが 読み手に 伝わる。
この物語は、女たちの浅はかな賭け事のために村の掟を破った「お勝さん」が、神の警告を無視して滝大明神の賽銭箱を盗んだために神の怒りをかい、背負っていたわが子の首をもぎ取られ、神の業罰を受けるという怪異驚愕の物語であるが、読み終えたあとの印象は、神のたたりを描いた「滝大明神示現」の物語というよりも、むしろ、「お勝さん」自身の物語という印象が強烈に残る話だった。 しかし、最も印象に残ったのは、首のない子供の肢体を見つけるお勝さんと、そこに立ち会う女たちのセリフと仕草のやりとりの描写が際立っていて、これは、口承文学的というよりも、もはや演劇的な迫力にまで昇華されたものという感じが心に強く残った。 もともと八雲と妻セツの再話作業(八雲独特の作品形式あるいは手法、平井呈一命名)は、単なる聞き取りの作業を遥かに越えたもので、妻セツの「思い出の記」には、物語を作り上げるまでの二人のやり取りが、記されている。 八雲は、セツに 「本見る、いけません。ただ、あなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければいけません」と言った。 八雲は、夫人に物語を暗記するだけでなく、再現することを求めたのだ。 この「幽霊滝の伝説」では、 「あらっ、血が」というセリフを幾度も繰り返させ、「どんなふうにして言ったでせう、その声はどんなでせう」と本にないことまで尋ね、そのようにして生まれた「幽霊滝の伝説」は、どちらかといえば、不可思議な現象を語ることに力点をおき、人間的要素に乏しい口碑や伝説の定型を抜け出て、人のセリフや仕草によって山場をつくる演劇的な語りに仕上げていった。 いわば、妻セツに課された役割は、日本の古い伝説を八雲に仲立ちするにとどまらず、霊媒、口寄せ、巫女の役割であり、さらに八雲の求めによって、この怪異な物語の霊罰の被害者であるお勝さんと、その惨状を目撃した女たちの反応を精緻に描くことによって、単なる亡霊譚や怪奇譚は、より客観化され、物語の細部に奥行きを与え、研ぎ澄まされたリアリティーに凄みを与えることに成功したといえる珠玉の名品である。