アルプス好きの登山愛好家のスイス訪問記ということで、サラッと読み流した。 文章についても書き慣れた練達の士らしく、淀みなく読めたので、普段なら、上品で巧みな随筆だったなあと過去形で感心して、いち早く「記憶」の棚に収納し、一期一会の読書体験は無事終了と相成るところだが、どうも一節だけ気にかかる箇所があった。 ここだ。 «この六年の間遠く故郷を離れていた妻は、今再び彼女を生み、彼女を育んだアルプスの連峰に迎えられる子供たちに分けようとするように、頬ずりしながら山を指す姿を見ると、私は寂しくなっていくばかりだ。 父として夫として私は、彼らを見守っているが、しかし、あの山頂をかすめて風に吹かれる雲のように、心は、ともすれば雲の上をさまようておる。 家族と共におれば独り離れて山を思い、山に入れば却って麓に残した家族を思うのではあるまいか。 私にはあの前の独り旅がたまらなく懐かしい。 何の覊伴も拘束もなく、興に乗じては嶺から嶺を渡り歩いて、山で死ぬ日をすら美しく脳裏に描いた若い日は、もう私には再び帰ってこないのか» この一節だけ読むと、なんだか暗雲立ち込める不穏な雰囲気しか感じとることしかできず、どう見てもスイス人の妻の里帰りに同行した夫の華やぎのようなものは、いささかもない。 なんなんだこれは、と不審に思い、wikipediaで、作者·辻村伊助を検索した。 そこには、こう書かれていた。 «1913年渡欧し、翌年、近藤茂吉とグロースシュレックホルンに登頂した際、下山中雪崩で重傷を負う。入院先の看護師ローザカレンと結ばれ、1921年に帰国。小田原高等女学校で英語を教える。箱根湯本に高山植物園を開いたが1923年関東大震災で裏山が崩れ、夫人、3児と共に埋没死。3年後の1926年に遺骨が発見され、比叡山延暦寺に納骨された。» 文章の中にさりげなく潜んでいたどす黒い不吉な違和感は、不運な霊たちの必死の呼び掛けだったのかもしれない。