「文学教育と言語教育」の感想
文学教育と言語教育
ぶんがくきょういくとげんごきょういく
初出:「信濃教育 第八二二号」1955(昭和30)年6月

時枝誠記

分量:約9
書き出し:「信濃教育」の池田さんが訪ねて来られて、原稿執筆を承諾してから間もなく、私は、四国松山の道後で開かれた愛媛国語教育研究大会に招かれて、五日間ほどの旅行を続けた。講師は、法政大学の古田拡氏、成蹊学園の滑川道夫氏と私とで、会の主題は、作文と文法といふことであつた。道々、「信濃教育」への原稿のことなども気にしながら、松山へ着いた。駅では、主催者の仲田庸幸氏の出迎へを受け、宿に着くと、同研究会の機関誌「国...
更新日: 2022/12/29
7f671cba0689さんの感想

今年度から施行されている高等学校の学習指導要領において、国語科の科目は大きく変更された。それによって「文学軽視」と叫ばれていることを念頭に本作を読むといろいろと考えさせられる。 筆者の言う通り、文学作品には道徳的な解釈や表現の芸術性が伴う。そのような曖昧な部分に国語教育の本懐を見出そうとするのは邪道と言えるかもしれない。 一方で、高等学校のカリキュラムの中で文学作品が扱われなくなると、“素晴らしい”文学作品に触れる機会が消え、それが子どもにとって大きな損失のように、世間では言われている。 今一度、冷静になって感情論を排し、国語教育とは何か、そして今の時代において何が求められているか考えれば、筆者のような思想に行き着くのかもしれない。