今年度から施行されている高等学校の学習指導要領において、国語科の科目は大きく変更された。それによって「文学軽視」と叫ばれていることを念頭に本作を読むといろいろと考えさせられる。 筆者の言う通り、文学作品には道徳的な解釈や表現の芸術性が伴う。そのような曖昧な部分に国語教育の本懐を見出そうとするのは邪道と言えるかもしれない。 一方で、高等学校のカリキュラムの中で文学作品が扱われなくなると、“素晴らしい”文学作品に触れる機会が消え、それが子どもにとって大きな損失のように、世間では言われている。 今一度、冷静になって感情論を排し、国語教育とは何か、そして今の時代において何が求められているか考えれば、筆者のような思想に行き着くのかもしれない。