「マリアの子ども」の感想
マリアの子ども
マリアのこども

グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール

分量:約17
書き出し:ある大きな森のまえに、ひとりの木こりが、おかみさんといっしょに住んでいました。子どもは、三つになる女の子がたったひとりしかありませんでした。木こり夫婦《ふうふ》はたいへん貧乏《びんぼう》で、その日その日のパンもなく、子どもになにを食べさせたらよいか、とほうにくれるほどでした。ある朝、木こりは心配《しんぱい》ごとに胸《むね》をいためながら、森へしごとにでかけました。木こりが森のなかで木を切っています...
更新日: 2025/04/15
65c8aadc88adさんの感想

雙之川喜1941  この 話での マリアは 生殺与奪の 権利を 持った 絶対的なる 権力を 振るい 信者を 導いている。これに 反して 多神教では どの 神様が なんせ 人数が 多いため 怒ったのかも なかなか わかりにくい。一人で 見張るのと 大勢で バチを 与えるのとは 多勢に 無勢と いうことで とりあえず 神様を 怒らせないように 気を つけようと 身を 慎む。そこで 仕事が しやすいように 神様の 連合会を 創った 方が よいのでは なかろうか。

更新日: 2022/05/26
cdd6f53e9284さんの感想

グリムの話は、民話といっても、どれも極めて土俗的で、しかも生臭い血の匂いのする物凄いストーリーが多いのだが、聖母マリアの登場するこの話も相当に凄い。 あまりにも貧しすぎる木こりは、自分では育てられない娘を聖母マリアに預けて天国で育ててもらう。 大切に育てられた娘も14歳になった、 聖母マリアが留守にする時、言い付けに背いて禁じられていた扉を開け、三位一体のご神体を見てしまう。 やがて、帰ってきた聖母マリアに「扉を開けなかったか」と問い詰められるが、頑なに否定し続ける。 この話の凄いところは、ここだ。 正直に否を認めれば、あるいは救われたかもしれないのに、娘は何がなんでも否定し続け、下界に落とされる。 この娘の強情も凄いが、それを決して許さない聖母マリアの執拗さも半端じゃない。 やがて、王様に見初められた娘は幸福に暮らしていたが、子供が生まれるたびに聖母マリアが現れて「開けた、開けない」の問答をし懺悔を求められるが、相変わらず強情に否定すると子供を連れ去られる、ということを繰り返す。 やがて、国民の間に次々に子供がいなくなってしまうことに不信がわき起こり、「あの女は子供を食った魔女だ」と告発される、 しかし、マリアによって声を奪われた彼女は弁明できず、裁判の結果、火あぶりの刑に決せられる。 だが、火にあぶられたことによって彼女の「思い上がりの厚い氷」はようやく溶け、ついに娘は聖母マリアに助けを求めて懺悔し、許され、子供も返されたという一席。 この童話には、あの中世魔女裁判の恐るべき実践書「魔女の鉄鎚」の暗黒精神がしっかりと息づいているのが分かる。