雙之川喜1941 いろいろと 伏線が 張って ある。ウールトール家の でっかい 赤犬が 狂犬病に 罹った ので 射殺しようと したら 犬は 何処かに 逃げ出した。怒りに 任せた 夫の 心理描写も 実に 巧で 掌編の 愉しみを 堪能させて くれると 感じた。
妻の浮気への怒りと憎しみが、わが子の出生に対する疑惑に及んで、ついにその子供を死へと追い詰めていく。 この物語に救いはあるのか、と考えながら、救いのない物語の存在価値ってなんなんだ、とも考えてしまうストーリー展開だ。 亭主は、妻が隠れて浮気していることを、もうとっくの昔から気づいている。 相手は、のっぽのふざけた野郎だ。 二人していちゃついている現場を村人に見られているし、郵便配達からもこっそり教えてもらった。 しかし、そのことを問い詰めても、言を左右してシャアシャアとシラをきり通す図太い女房を罵るくらいでは、どうにも腹の虫が収まらない。 「どこまで人を馬鹿にする気だ」と亭主は、隠れて浮気を続ける女房に対して、ついに怒りが爆発する。 知らぬは亭主ばかりなり、の間抜けな寝とられ男の役を演じさせられ、村の笑い者になっていることにも腹が立つが、だいたい、早産だとか言い張り、ちゃっかり産んだあの子供が、もし、俺のタネでなかったなら、可愛いがって育てている自分のお目出たさへの屈辱感が、堪らないのだ。 本当に俺の息子なのかと、シラをきる女房に詰め寄るが、女房はせせら笑うばかりで、相手にしない。 息子を抱き寄せ、まじまじとその顔を見つめる。 なるほど、見れば見るほど、その顔立ち、何気ない仕草など、どう見てもあの男にそっくりじゃないか。 こいつは、俺のタネなんかじゃない。俺の息子なんかじゃないと、亭主は発作的に逆上し、いままさに扉のすぐ向こうで猛り立って狂暴に吠え立てている狂犬病の獰猛な黒犬のそばへ子供を突き飛ばした。 子供は猛り狂った犬の餌食になり、からだの方々を噛み裂かれ血まみれの瀕死の重症を負う。 駆け寄る女房は泣き叫び、亭主は、俺は何てことをしたんだと後悔する。 しかし、誰もこの憐れな幼い息子の死を止めることはできない。 いったい、何が悪かったのか、誰が悪かったのかと真相を究明することに、なにか意味があるのだろうか。 いまこの日本でも、育て切れない子供を放置して飢餓にさらし、手に余れば殺して床下に埋めて、平気な顔をしている親がいるのだから、いまさら「真相」など知ってどうする、という気がする。 その無力さが、忌まわしいのだ。 現代の日本にそのまま通じてしまうようなこの惨憺たる事件の真相を単に知ったとしても、それはただ無理やりに納得して忘却するためだけの都合のいい方便に過ぎないではないか。