「孔子とアメリカ」の感想
孔子とアメリカ
こうしとアメリカ
初出:「西日本新聞」1955(昭和30)年8月

中谷宇吉郎

分量:約3
書き出し:孔子とか論語とかいえば、われわれの若い時代に、すでにそれは、時代おくれの標本になっていた。老人たちに何かお説教をされると「子《し》曰《のたまわ》くか」と言って逃げたものである。いわんやこのごろの青年諸君のなかには、論語などと聞いても、名前も知らない人が多いであろう。論語は、高等学校時代に、修身の課目として、講義をきいたことがあるが、馬鹿にしきっていたので、その内容はすっかり忘れてしまった。何でも身...
更新日: 2022/04/13
cdd6f53e9284さんの感想

中谷宇吉郎が、アメリカに研究員として招聘されたときの印象を、日本と引き比べて書いた随筆である。 困っている人がいれば、誰にでも手を差し伸べて、助けることを躊躇しない隣人愛に溢れたアメリカ人に、親切にされた思い出を紹介するとともに、日本在住のアメリカ人の日本人に対する印象も比較して書いている。 その日本在住のアメリカ人が言うには、 「日本人は、親しい人には親切だが、そうでない他人には、とても冷たい」と。 中谷宇吉郎も、その感想について特に反論も注釈も付けていないところを見ると、「まあ、そんなものだろう」と思っていたのかもしれない。 しかし、この随筆が書かれた1955年という年代を考えれば、英語も話せないシャイな日本の庶民が、大男の異国人を前にして、アメリカ人の満足するような社交性を発揮できたかといえば、すこぶる疑わしい、というか、到底考えられない。 英語で捲し立てる目の青い異人さんをまえにして、敗戦から幾らも時間が経っていないこの時期の日本人が物怖じし萎縮するのは当たり前だ。 どうにか自信らしいものが持てるようになったのは、せいぜい高度経済成長期を経て、やむを得ず外国人と付き合わねばならなくなった以後の話だ。 しかし、それから半世紀以上経ったコンニチ、ウクライナ避難民対応などを見ていると、あの時の日米格差は完全に逆転したような印象を持つのは自分だけだろうか。 長い鎖国によって島国に閉じ込められてきた日本人も学習し、「国際感覚」を獲得し、少なくとも、中谷宇吉郎が危惧した一度は失ったかに見えた論語の精神を、ここにきてようやく取り戻すことに成功したのかもしれない。 しかし、あの「論語」に、果たして他人に親切にしろとか、人付き合いを円滑にするために愛想よくしろなどに相応する文言などあっただろうか。 せいぜいのところ、巧言令色少なし仁、があったくらいだと思うのだが。