「小林秀雄と美」の感想
小林秀雄と美
こばやしひでおとび
初出:「小林秀雄全集月報第五号」新潮社、1956(昭和31)年4月

中谷宇吉郎

分量:約8
書き出し:先年、小林秀雄と、清荒神へ鉄斎の絵を見に行ったことがある。そのときは、一日中かかって、奥の広い座敷で、百幅近い鉄斎を見た。天気のよい日で、白い障子が明るく、室内は森閑としていた。この部屋は、鴨居にたくさん折釘がついていて、十幅くらいの掛物が、ずらりと掛けられるようになっていた。次の間に、軸箱がたくさん積み上げてあって、小僧さんが、大事そうにそれをもって来て、一幅一幅かけて行く。小林秀雄は、その前に...
更新日: 2022/04/17
cdd6f53e9284さんの感想

中谷宇吉郎は、この文章で多数決と芸術の評価と価値について、小林秀雄の感性の独自性を引き合いに出して懸命に説いている。 しごく真っ当な話なので、なにも異論はないのだが、この小論の書き出しが、小林秀雄と鉄斎の絵を鑑賞したところから始められている。 そこで思い出した、 筑摩書房の現代日本文学大系の小林秀雄集の中には評論「鉄斎」と「鉄斎の富士」の二編が収録されている。 まさか、この「小林秀雄と美」の書いている時のことだとは思わないが、この文章には、小林秀雄が、鉄斎と鉄斎の作品をどう感じたかまでは言及されていないので、あえて「鉄斎」と「鉄斎の富士」を鉛筆片手に読んでみてみた。 ここぞという箇所があれば線でも引こうとおもったのだが、まるで取っ掛かりというものを掴めなかった。 まあ、これが小林秀雄らしいといえば、らしいし、当方の理解能力不足を棚にあげて「韜晦」などと言う積もりもないが、中谷氏が、懸命になって小林秀雄を庇う気持ちも分からないではない。 だって、小林秀雄の微妙な分かりにくさについては弁解しているのに、小林秀雄が鉄斎をどう解釈したかまでは触れていないし、たぶんそこまでは言及できなかったのではないかと愚考した次第。