「文壇昔ばなし」の感想
文壇昔ばなし
ぶんだんむかしばなし
初出:「コウロン」1959(昭和34)年11月

谷崎潤一郎

分量:約27
書き出し:○昔、徳田秋声《とくだしゅうせい》老人が私にいったことがあった、「紅葉山人《こうようさんじん》が生きていたら、君はさぞ紅葉さんに可愛がられたことだろうな」と。紅葉山人の亡くなったのは明治三十六年で、私の数え年十八歳の時であるが、私が物を書き始めたのはそれから約七年後、明治四十三年であるから、山人があんなに早死にをしなかったら、恐らく私は山人の門を叩《たた》き、一度は弟子《でし》入りをしていただろう...
更新日: 2022/07/29
19双之川喜41さんの感想

 大正の頃 生田長江が 武者小路実篤に 論戦を 挑み 「オメデタイ」と 断罪したという。谷崎潤一郎から 見ると 論旨の 展開に 隙が 多いので そのことを 直接 生田に 指摘すると 喧嘩を 売るときには 隙を 見せておいて 誘うものだという 趣旨のことを 言ったという。谷崎潤一郎は 評論家は そんなものかと 感心したようだ。当時 生田は 外見から はっきりと 分かるような 深刻な 病気に 苦しんでおり 屈折した 出口のない 心情が 痛いと 想った。