谷崎潤一郎
大正の頃 生田長江が 武者小路実篤に 論戦を 挑み 「オメデタイ」と 断罪したという。谷崎潤一郎から 見ると 論旨の 展開に 隙が 多いので そのことを 直接 生田に 指摘すると 喧嘩を 売るときには 隙を 見せておいて 誘うものだという 趣旨のことを 言ったという。谷崎潤一郎は 評論家は そんなものかと 感心したようだ。当時 生田は 外見から はっきりと 分かるような 深刻な 病気に 苦しんでおり 屈折した 出口のない 心情が 痛いと 想った。