「甘い野辺」の感想
甘い野辺
あまいのべ
初出:「あまカラ 10月号 第五十号」甘辛社、1955(昭和30)年10月5日

浜本浩

分量:約5
書き出し:子供の頃、私は菓子を食べたことがなかった。家が貧しかったし、また私の郷里の土佐の国では、その頃まで勤倹質素を旨とする風習が残っていたので、菓子はぜいたくなもののように考えられていたからである。菓子を禁じられた子供たちは、いろいろと代用になるものを探して食べた。それは私たちだけではなく、どこでも田舎の子供なら同じことかもしれない。早春には、まず芝の地下茎を噛《か》んだ。糖分を貯えて越年した若い地下茎...
更新日: 2020/10/12
ななさんの感想

時代だねぇ

更新日: 2020/09/26
19双之川喜41さんの感想

 その頃 菓子は贅沢とされたので 芝の地下茎を 甘味の代わりに 食したりした。芽(ちがや)の 木の芽花(ツバナ)。野薔薇の若芽。高知市外の 潮江(うしおえ)天満宮の 椋(むく)と 榎(えのき)の果。甘庶は 信州の蓼科山麗の 豊平村で 試してみたが 育たなかった。私は 麦の穂を ガムの代わりに かじったりしたけど 旨いものではなかった。甘いかもしれないものは やたら 試してみたのに よく 中毒にならなかったものである。

更新日: 2020/03/14
65a6c008b5d6さんの感想

ある意味この様な時代のほうが子供には幸せだったのではないでしょうか。