「わが愛する詩人の伝記(三)」の感想
わが愛する詩人の伝記(三)
わがあいするしじんのでんき(さん)

――萩原朔太郎――

――はぎわらさくたろう――初出:「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号

室生犀星

分量:約29
書き出し:萩原朔太郎の長女の葉子さんが、この頃或る同人雑誌に父朔太郎の思い出という一文を掲載、私はそれを読んで文章の巧みさがよく父朔太郎の手をにぎり締めていること、そして娘というものがいかに父親を油断なく、見守り続けているかに感心した。葉子さんは三十過ぎだがボンヤリと鳥渡《ちょっと》見たところでは、気の善すぎる、だまされやすく騙してみたいような美しさを持っている人だが、この父朔太郎の思い出をくぐり抜けている...
更新日: 2022/05/15
cdd6f53e9284さんの感想

青空文庫に収録されている萩原朔太郎の「芥川龍之介の死」を読むと、そこに描かれている室生犀星の印象は、ズボラで神経が太く、そのくせ朔太郎と芥川龍之介の親密な交流に対しては、あからさまな嫉妬を隠そうとしない直情的な人物として描かれていた。 その文章自体は、芥川龍之介の追悼のために書かれた文章なので、どうしても室生犀星という人物の位置づけが「添え物」ふうになってしまうのは致し方ないにしても、その空気感は、この「わが愛する詩人の伝記3 萩原朔太郎」にも引き継がれているように思えてならない。 つまり、「朔太郎→犀星」に対する「犀星→朔太郎」の心理の微妙な温度差だ。 この随筆の中で触れられている主要なエピソードのひとつに、こんなのがある。 酒の席で、犀星が朔太郎に、婚家先から出戻ってきた朔太郎の妹にハンドバッグを買ってやろうと申し出ると、朔太郎は断固として固辞する、「どうして駄目なんだ」「どうしてもだ」と延々と言い争い、喧嘩別れになってしまうのだが、後になって別の友人·佐藤惣太郎には妹との結婚を許したことを犀星は知って憤慨する。 逢う度に、犀星は朔太郎をなじり続けた。 このエピソードを延々と書き綴る犀星の文章を読んでいると、「俺が悪い訳がない」という鈍感な押しの強さにうんざりして、もうこれ以上説明してもこいつには分からないだろうな、という諦念で苦笑するしかない朔太郎の顔が目に見えるようだ。 そういう視点で成瀬巳喜男の「杏っ子」を見たら、室生犀星のまた別の味わいが見つかるかもしれない。