「春雨の夜」の感想
春雨の夜
はるさめのよる
初出:「明星 第一卷第七號」1922(大正11)年5月1日

永井荷風

分量:約9
書き出し:雨戸がしまったので午後から降出した雨の音は殆ど聞えなくなった。女中の知らせに老夫婦は八畳の茶の間へ来て、膳の前に置かれた座布団に坐ると二人ともに言合したように身のまわりを見廻した。昨日まで——昨日の夕飯の時までこの八畳の茶の間にはもう一脚膳が出されてあったのだ。然し今夜はもうその膳は出されていない。寅雄《とらお》という一番末の男の子は今朝米国へ留学に行った。去年の秋三番目の女の清子《きよこ》が嫁に...
更新日: 2024/01/29
鍋焼きうどんさんの感想

静かで何も起こらない老夫婦の会話の一コマ。明確なテーマは見出だせないものの、滋味のある掌編。自分の理想の老い方を具現化したのかもしれない。

更新日: 2021/03/29
19双之川喜41さんの感想

 荷風は 情痴作家と よばれたりした ことも 有ったようで そのような 先入観で読むと 本作品は 些か毛色が 違うようでもある。子ども達と 共に暮らすことが 無くなって仕舞った 老夫婦の寂しい夕食風景を 夫が 火鉢に両手をついて起ち上がるまでを 記す。哀感溢れる 上質な文章と想った。

更新日: 2021/03/28
cfa389de9726さんの感想

官民に奉職し終え、息子娘たちも皆無事送り出して、まずまず成功の人生ながら晩節の寂しき無為の日常に到達した夫婦の夕餉の風景。 確かに小津映画の如き会話の枯れた心地良さはある掌編だが、しかしこれで終わりとするのは実に勿体ない。ここから何か始まりそうな気配があるにもかかわらず。 文体も書かれる情景も作風も何より人生哲学も全く異なりはするが、もしこれが漱石の手になる一遍だったとすれば、恐らくここまでを「一」として、「八」辺りで終わる中編に仕立て上げたのではないか、と思う。 荷風にしては手抜きなのか、脱力なのか、或いはこれこそ荷風らしいのか。不勉強にして結論し難いが。そういう意味の惜しい一編であると思う。

更新日: 2021/03/22
b53e79cfe52cさんの感想

子供が巣立っていった老夫婦の日常、小津安二郎の映画を見ている様な感覚にとらわれますね。