1953年に平凡社から出版された「世界美術全集」中のエジプトの彫像に対する解説だそうだが、最後の「書記坐像」の感想を読んで、いままで自分が認識していたものとだいぶ違うので、少しばかり違和感を覚えた。 高村光太郎が、本当にこう言ったのだろうか。 いやいや、もしかしたら「書記坐像」とはいっても、エジプトで発掘されたものは、幾つかの種類があって、ここで高村光太郎が解説しているのはそのうちのひとつで、自分がイメージしているものとは、また別のものなのではないかと思い、ネット検索してみた。 なるほど、古代エジプトの彫像で、「書記坐像」といえば、やはり全身を褐色に塗られた坊主頭のこの像しかないということか。 自分が見たのには、「ルーブルの書記」❮ルーブル美術館蔵❯と名付けられていて、第五王朝期のもので、石灰岩彩色、高さ53センチ、サッカーラ出土とあり、解説にはこうあった。 ❮官僚機構が発達した当時の社会にあって、書記(古代エジプト語でセシュ)の職につくものは、最高級のエリートたちであった。 そこで、書記の姿を借りることによって、自己の卓越した能力を示そうとした。 あぐらをかいた膝の上にパピルスの巻物を広げ、右手にもった葦のペンで筆記しようとしている。 足の部分が、上半身に比べて大きく作られており、この像に安定感を与えている。 銅の枠の中に、アラバスターや水晶、黒石などを嵌め込んで作られた正面を凝視する目が印象的である。 1850年にマリエットにより発見されたもので、州長官であったカイという人物の像である。❯ まあ、だいたい、これが自分が持っていた印象なのだから、光太郎がいっている、いわゆる「悪印象」など入る余地などあるわけなかったので、なおさら驚いたのだと思う。 とにかく、こうだ。 ❮この書記像の的確さは不気味である。 ある権威に従属する者の小心さ、忠実さ、卑屈さ、狡猾さ、冷酷さというような内面の諸性質が、形態を通して実に生き生きと表現されていて、見るものが思わずひやりとするほどである。 全体のがっしりとした安定感はこの男の持つ職務意識の強さを物語り、顔面骨相の品格に乏しい鋭い小人物的個性は迫真を通り越し、横向きはことに暴露的である。❯ なるほど、こうして筆写してみると、あながち貶しているわけではなくて、むしろ、リアリティーを褒めていることがわかりました。
彫刻って、等身大とかそれ以上のを造れるかどうかが、作者の力量を示すところがあるのかな。小さい作品が駄目ではなく、エネルギーの強さがその大きさに比例し、そして形を破綻させず纏められるのなら、それは確かと言えるし、古代エジプト彫刻にもそれが認められるのなら、時代や地域を置いておいて、それでも思わず頷いてしまうとなるんだろうな。