「木犀の花」の感想
木犀の花
もくせいのはな
初出:「中央公論 第六十二年第十号」中央公論社、1947(昭和22)年10月1日

永井荷風

分量:約10
書き出し:木犀の花がさくのは中秋十五夜の月を見るころである。甘いような、なつかしいような、そして又身に沁むような淋しい心持のする匂いである。わたくしはこの花の香をかぐと、今だに尋常中学校を卒業したころの事を思出す。わたくしの学んだ中学校はわたくしの卒業する前の年まで神田一ツ橋に在った。道路を隔てて高等商業学校の裏手に面していた。維新前には護持院ヶ原と言われたところで、商業学校の構内には昔を思わせる松の大木が...
更新日: 2024/12/23
65c8aadc88adさんの感想

双喜 荷風は 自慢したいわけではないと  はにかむ。二度ばかり  落第したので  どうしても 友達は 普通の人の二倍となる。木犀の かおりが 引き金となって 突如として その頃の記憶が ありありと 再現される。落第の効用は 斯くも 絶大なる 効用が あるのには 感心した。私どもも 頑張って 落第するように こころ がけよう。18:39

更新日: 2024/05/26
8eb05d040692さんの感想

出て来る人が凄い

更新日: 2024/05/10
102ded92cf9eさんの感想

中学に新しく赴任してきた校長は、羽織袴で、同じく木綿ではあるけど羽織袴を着けた三人の男達と共に、檀上に現れた。名だたる嘉納治五郎であった。シルク帽に見慣れた生徒達の度肝を抜かれた事であろう。治五郎の張り切りぶりが目に浮かぶと感じた

更新日: 2024/05/08
阿波のケンさんさんの感想

氏が通っていた中学の校長に加納治五郎氏(初代柔道家)が赴任してきたり同級生に岩崎小弥太(三菱の創始者、弥太郎の甥)氏、その他私は存じ上げないが有名人だらけと言ってもよい。当時の東京の中学って凄かったんだな!