誰から聞いたという訳ではないのだが、自分も永井荷風という作家が金に細かくて、ケチな人だという先入観をいつの間にか抱いてきたひとりだ。 その根拠が、今回この「出版屋惣まくり」という小文を読んで、ああ、これだったのかと初めて霧が晴れたような思いで納得した。 まあ、作家にこういうものを書かれてしまったら、出版社の方だっていい気持ちはしないだろうし、それなりの「評判」も立ってしまうかもしれないなと思わざるを得ない、 人の口に戸はたてられないというものね。特に悪口ときてはね。 なにしろ、ここで槍玉に挙げられている出版社は、散々の言われようだ。 やれ、約束した原稿料は踏み倒すわ、印税はシカトするわ、無断転載などは勝手放題平気でやらかすわ、いやもうとにかく出版社や編集者などというヤカラは、詐欺師まがいで抜け目なく、守銭奴を通り越して、まさに泥棒だって下駄をはいて逃げ出す始末の人非人で、まともな奴は一人としていないみたいな言われようなのだから、それはもう形なしだ。 それだから、出版社の方だって「金に細かい算盤作家」くらいの陰口をたたきたくなるのは当然、悔しくて一矢も二矢もむくいたくなる気持ちも分からないではない。 もちろん、出版社という弱い立場なので、あくまでも蔭に隠れてだけれどもね。 しかし、現代の感覚からすると、いやしくも全集でも出そうかという大望ある出版社が、大切な作家様との関係をそんなふうに粗雑に扱うとは到底思えないのだが、しかし、そこはやはり明治の御代、作家にしても出版編集者、雑誌編集者、新聞記者にしても世間からは与太者とかゴロツキと見なされて、良識あるまともな人間のやるナリワイとは認められておらず、総じて社会的地位の低さということが〈お互い様だが〉背後にあったのかもしれない、それなら、なんとなく納得もできようというものだ。 「荷風全集」は、大正7年12月~9年11月にかけての三五判6巻本の第一次全集と、大正14年6月~昭和2年5月にかけての四六判6巻本の第二次全集〈重印荷風全集〉があり、ともに春陽堂の出版だった。 同じ店で出た同じ作家の全集ながら、相当に出入りがあり、前者に入っている書簡は後者になく、戯曲もまた省かれている。 全集とはいいながら、実際は選集で初期の作品は、おおむね共に割愛している。つまり、この両全集は便宜上「全集」と称しただけのもので、完全に近い形で出たのは、終戦後中央公論社から出た全集を待つしかなかった。四六判24巻で、昭和23年3月~28年4月に出版された。 荷風愛好家の尽力もあって、当時知ることの出来る限りの断簡零墨の類を殆ど悉く載せたといわれた。 とりわけ、この全集の圧巻は、当時は未発表の日記「断腸亭日乗」を大正6年から昭和20年に亘って収めている点である。 その他、書簡、終戦後の創作、随筆類は、収録されてない。 その後、中央公論社版にしたがいながら、荷風の明治31年から昭和34に及ぶ60年間に亘る著作活動をほぼ編年順に配列収録したのが、平成4年~7年の全30巻、岩波書店刊である。 そこで、荷風もこの小文で言及していることだが、どの出版社がどういう全集本を出版したかが分かれば、当時の出版界の勢力図が多少は判断できるのではないかと調べたのだが、もとより限りある資料のことゆえ、また、加うるに小生の生来愚鈍のゆえをもって、おのずから心許なき粗悪な成果であろうことは申すまでもなきこと、ご了解をもって下記一覧を参照されたい。 ▪一葉全集〈東京博文館〉 ▪透谷全集〈文学界雑誌社〉 ▪紅葉全集〈博文館〉 ▪眉山全集〈博文館、春陽堂〉 ▪樗牛全集〈博文館、春陽堂 共同〉 ▪独歩全集〈博文館〉 ▪二葉亭全集〈東京朝日新聞社〉 ▪抱月全集〈博文館〉 ▪啄木全集〈新潮社〉 ▪漱石全集〈岩波書店〉 ▪泡鳴全集〈国民図書〉 ▪藤村全集〈新潮社、国民図書、春陽堂 三社合同〉 ▪花袋全集〈改造社〉 ▪武者小路実篤全集〈芸術社〉 ▪子規全集〈アルス〉 ▪鴎外全集〈鴎外全集刊行会〉 ▪有島武郎全集〈叢文閣〉 ▪荷風全集〈春陽堂〉 ▪鏡花全集〈春陽堂〉 ▪逍遙選集〈春陽堂〉 ▪蘆花全集〈新潮社〉 ▪葛西善蔵全集〈改造社〉 ▪上田敏全集〈改造社〉 ▪赤彦全集〈岩波書店〉 ▪長塚節全集〈春陽堂〉 ▪小山内薫全集〈春陽堂〉 ▪芥川龍之介全集〈岩波書店〉 ▪露伴全集〈岩波書店〉 ▪菊池寛全集〈平凡社〉 ▪久米正雄全集〈平凡社〉 ▪梶井基次郎全集〈六蜂書房〉 ▪嘉村礒多全集〈白水社〉 ▪白秋全集〈アルス〉 ▪谷崎潤一郎全集〈改造社〉 ▪宮澤賢治全集〈文圃堂〉 ▪与謝野晶子全集〈改造社〉 ▪小林多喜二全集〈ナウカ社〉 ▪室生犀星全集〈非凡閣〉 ▪秋聲全集〈非凡閣〉 ▪寺田寅彦全集〈岩波書店〉 ▪横光利一全集〈非凡閣〉 ▪川端康成全集〈改造社〉 ▪志賀直哉全集〈改造社〉 ▪鈴木三重吉全集〈岩波書店〉 ▪牧野信一全集〈第一書房〉 ▪眞山青果全集〈講談社〉 ▪山本有三全集〈岩波書店〉 ▪水上滝太郎全集〈岩波書店〉 ▪萩原朔太郎全集〈小学館〉 ▪岡本かの子全集〈実業之日本社〉 ▪中島敦全集〈筑摩書房〉 ▪木下杢太郎全集〈岩波書店〉 ▪太宰治全集〈八雲書店〉 ▪久保田万太郎全集〈好学社〉 ▪島木健作全集〈〉 ▪武田麟太郎全集〈六興出版〉 ▪小林秀雄全集〈創元社〉 ▪中原中也全集〈創元社〉 ▪立原道造全集〈角川書店〉 ▪宮本百合子全集〈河出書房〉 ▪伊藤整全集〈河出書房〉 ▪堀辰雄全集〈新潮社〉 ▪齋藤茂吉全集〈岩波書店〉 ▪中村憲吉全集〈岩波書店〉 ▪岸田国士全集〈新潮社〉 ▪折口信夫全集〈中央公論社〉 ▪佐藤春夫全集〈改造社〉 ▪高村光太郎全集〈筑摩書房〉 ▪郡虎彦全集〈創元社〉 ▪北條民雄全集〈創元社〉
明治34,5年から太平洋戦争終戦後に頃までの小説家と出版社との金の問題について描かれている。
作品の発表が出版社を通じてでないと出来なくなって、出版社の都合に作家が合わせないとならない、というのは本当に面倒くさいだろうな。こっちが大人にならなければならない。 荷風が亡くなって約80年。電子書籍で作品が読まれるようになり、同人誌も市民権を得ている。自分で全部やらなきゃならんのか?とかそれはそれでボヤキそうだけどな。