遠い国の凄惨なニュースを見たときの、あのやり場のない気持ちをありありと思い出す。同時に、主人公の善良な人柄に、人間も捨てたものでは無いと救われる思いがする。ですます調で書かれていることで、しんみりと胸に迫る。
異国の話とはいえ凌辱された女性を、話の小ネタにしてしまうような完全な他人事の友人と、一瞬でも近い人と感じた主人公の違い
人は、好む好まざるを問わず、誰しも単独では生きていない。 社会人として、国民として生きるのが、個人としても生きる唯一の道である。 もっと視野を広げると、一個の生物として、弱肉強食の枠組みの中にしか生きることが出来ない。
100年前に菊池寛が嘆き憤った気持ちが100年後の今を生きる自分に強烈に訴えかける。今でも世界の各地で人権が踏みにじられ、虐待されている現実がある。どんな理由をもってしても人が人を虐待することは許されない。そうした行為は世界から廃絶するべきだ。
ロシアの皇女の受けた恥辱は他人事ではない。人民の復讐の捌け口としても納得できない。