当時は 飢饉(ききん)の ために 命を取られる人々も 続出したという。仁和寺の 隆暁(りゅうぎょう)法印という 出家は それらの 死者達に 仏縁を結ばせるという 願いを 秘めて 御遺体の額に「阿」の字を 印して廻り 極楽往生を 祈念したという。その 御遺体の総数は 2ヶ月間に なんと 4万2千300余りに 昇ったという。パンデミックを 凌いだ 先人達の ご苦労が 偲ばれると想った。四畳半の タイニイハウスに暮らした 長明は 折り琴と 継ぎ琵琶を 持ち込み 花鳥山月を 一人で 愛でたのである。
昔も現在も、人間のやること考えること、何も変わらないんだと痛感しました。食べ物に不自由さえしなければ、こんな風に過ごすのが理想的です。
これは実話ではないのだろうか。山の庵に住み、実を食べて暮らし、琴や琵琶を弾き語り、怠惰に読経する生活。人は誰も来ず、訪ねてくるといえば山番の子供だけである。しかしその趣は風龍天雅、花鳥風月である。貧しい飢饉や大地震、台風、疫病、都は今日もたくさんの人が無惨に亡くなっている。その様さえ風流にえがく鴨長明は何者なりや。 難しくて原文では読めなかった。次は是非、原文のまま挑戦したい。
過去の災害を引き合いに出しながら、社会で生きる苦しさを愚痴り、世捨て人の気楽さを歌う。 文章に過去の有名な和歌が引っかけられてるが、その素養の無い自分には引きこもりのブログにしか感じられなかった。 もう少し枯れてくれば別かも知れないが、戦わず隠者となった記録には共感も感動も感ずる事はなかった。