「マスク」の感想
マスク
マスク
初出:「改造」1920(大正9)年7月号

菊池寛

分量:約11
書き出し:見かけだけは肥って居るので、他人からは非常に頑健に思われながら、その癖《くせ》内臓と云う内臓が人並以下に脆弱《ぜいじゃく》であることは、自分自身が一番よく知って居た。ちょっとした坂を上っても、息切れがした。階段を上っても息切れがした。新聞記者をして居たとき、諸官署《しょかんしょ》などの大きい建物の階段を駈け上ると、目ざす人の部屋へ通されても、息がはずんで、急には話を切り出すことが、出来ないことなど...
更新日: 2025/06/01
65c8aadc88adさんの感想

雙之川喜1941  泣く 子も 黙る かもしれない あの 文春砲の 創始者 とも言える 菊地は 見た目は 豪放磊落 身体の 中身は 満足な 臓器は 一つもない いつ死んでも 不思議が ない 虚弱な 体質 であった。そこで 日頃から マスクを 愛用し 予防に つとめた。なので 他人の マスク着用の 様子が 気になって しかたがない。うじうじと 悩み事を 抱え 案外 小心な おじさんでは あったようだ。そのぶん 攻撃精神が 肥大か したのかな 聞いて 見ないと わからない。これ 得られなかった ものに 執着する 心理学で いうところの 補償作用と よぶべきか。コロナは 下火になり マスクも 下火に なった。虚弱 臓器は 改善されないので マスクは 続くよ 何時までも。

更新日: 2024/05/06
19双之川喜41さんの感想

 国民あげて 飛沫感染を 慎むのが マスクであるけど どさくさ紛れに T狂会を あしざまに 言ったりすることも 慎むと 両国間の 絆は ますます 強固になります。宗教法人の 優遇税制などで 我が国は まるで 某国の 植民地の ようでもあり もっと 絞ってという マゾ根性で 悪い癖を あちらさんに 刷り込んだのは マスクの せいか どうかは わかりません。たかられ国家に 栄光あれ。

更新日: 2023/05/23
ネモフィラさんの感想

今も昔も恐れるものは同じに思う。 コロナ禍になって、マスクが高騰した事を忘れない。

更新日: 2022/10/30
鍋焼きうどんさんの感想

命を守るためにマスクをしたのに、いつの間にか世間体を気にすることが著者の関心事に置き換わった。このあたりの人間の滑稽さが巧く書かれている。マスクをすることに対する発想の転換も見事。

更新日: 2022/04/25
cdd6f53e9284さんの感想

生来、心臓の悪かった菊池寛は、診察を受けた医者から、あなたが流行性感冒などにかかったりしたら命にかかわるダメージを受けるのは必至だから、かからないように十分に注意しなければいけないとアドバイスされる。 だから、巷で感冒が流行り始めると、真っ先にマスクをかけ、流行が下火になり落ちついてからもずっと、周囲から何を言われようと、頑なにしばらくはマスクを着け続けた。 なにしろ、大切な命には替えられないからだ。 とにかく、この小説のほんんどの部分は、体の弱い自分が病気にかかったら大変な事態になるという死の恐怖心が記されていて、芥川が「ぼんやりとした不安」に囚われていたとしたら、菊池寛の場合は、それこそ「はっきりとした不安」、つまり、命の執着に囚われていたことになる。 精神的被害妄想が高級で、肉体的不調の健康不安の悩みが低級などということはない。 虚弱な内臓に常に生命を脅かされて、菊池寛も生涯苦しめられたのだ。 しかし、徐々に陽気も温かくなり、周囲にもマスクをしている者がいなくなってしまって、さすがにマスクをし続けることに気後れを感じて、ついにマスクをはずしたある日、温かな陽気に誘われて野球見物に出掛けた。 しかし、そこで、マスクを着けている男に遭遇して、菊池寛は衝撃を受ける。 誰一人マスクをしていない群衆のなかで、マスクをつけているのは、その男ただ一人だけなのだ。 そういう男を見て菊池寛は、堪らなく動揺をきたす。 小説的に興味をそそられるなかなかの場面ではある。 さて、彼の心理の奥底に分け入ってみよう、なんちゃって。 ただ、それほど難しいことをしようと思っているわけではない。 菊池寛が反応した感情的な言葉を拾っていくだけだ。 不愉快なショック、 明らかな憎悪、 小憎らしい、 妖怪的な醜さ、 この男によって感冒の脅威を想起させられたことが不快、 自分がマスクを着けているときはマスクをしている人に逢うと嬉しかったのに、自分が着けていないと不快な気持ちになる、この気持ちは、ただの自己本位か、 そして、こう言う ❮自分が不快に思ったのは、強者に対する弱者の反感ではないか······ 時候の手前、マスクを着けることが、どうにも気恥ずかしくなったときに、勇敢に傲然とマスクを着けて数千の人々の集まっている所へ押し出していく態度は、かなり徹底した強者の態度ではあるまいか。 とにかく自分が世間や時候の手前、やりかねていることを、この青年は勇敢にやっているのだと思った。 この男を不快に感じたのは、この男のそうした勇気に、圧迫された心持ちではないかと自分は思った。❯ このように縷々書き連ねる不快感の根元にあるものが、いったいなんなのか、ついに菊池寛自身にも分からない。 しかし、例えば、こんなのはどうだろう。 「この男」を、「芥川龍之介」に言い換えてみる。 もっともらしい世界の理解をこばみ、孤立を恐れず、この愚劣な世の中にひたすら冷笑を浴びせ、あらゆるものを嘲り、軽蔑の唾を吐き掛けて、親友づらした偽善者たちを見捨てて、昂然と自決の道を選んだあの男だ。 だとすれば、菊池寛が不快に思うのも無理はない。

更新日: 2021/12/29
いちにいさんの感想

コロナ禍にはピッタリだ。

更新日: 2021/12/28
阿波のケンさん36さんの感想

大正9年の話だが当時は感冒の予防のためマスクをつけていたということだがそれでも勇気がいったらしい。今はコロナのためマスク着用は国民の義務の様になっている。