生身の芥川龍之介に会ったわけではないが、作品や写真の風貌を見る限りにおいて僕も菊池寛と同意見です。
まず「芥川の印象」というタイトルを見、また、筆者が菊池寛と知れば、条件反射的に自分が芥川龍之介死後の回想記という先入観をもったとしても、それほど不自然なことではないと思う。 芥川龍之介に対する菊池寛の劣等意識は、つとに有名な話で、その引け目の意識が幾分でも和らげられ、解消していくのは、芥川の自死の衝撃を契機としたであろうと推測していた。 芥川の不在が、初めて菊池寛を、冷静かつ対等に「芥川龍之介」を語れるようにさせたのだという認識だ。 なので、この「芥川の印象」を頭から回想記と早とちりして読み始めた違和感は、そのよそよそしさにおいて、逆に菊池寛の距離感イコール引け目的劣等感を際立たせているように思えてならない。 この随筆が掲載された日付は、大正6年10月、その前年には、「鼻」を漱石によって賞賛されて、そのスタートの地点で、既に文学的成功を約束された順風満帆の作家活動を始めたばかりの頃だ。 そういう芥川を菊池寛はどう見ていたか、きわめて悪趣味だが、この随筆の中に「引け目や嫉妬」の芽を探してみようと思った。 こんな一文はどうだろう。 《芥川の創作には、一分の隙もない用意と技巧とが行き渡っているが、それと同じように、実生活の上でも芥川は一分の隙も作らないように思われる。此の点は感心はするが、同情はしない。》 そんなに構えていたんじゃ長続きしないぜ、と言っているのか、あるいは、長生きできないぜ、と言っているのかは、もちろん不明である。