明治の 大文豪 鴎外の 健康状態は 医者の 不養生とでも 言うべきか。 かなり 彼は 病弱で あったようだ。そして 臨終の 枕頭(ちんとう)では 土壇場(どたんば)の 騒ぎが あったともいう。孫達は 恐いといって 遺体に 近寄らず 遺族の 繰り言が 止まらないので うるさい 黙れと 一喝するものも いたらしい。なかでも 献身的に 鴎外に 仕えた おえいさんは 宮中から 勅使が 見えたときに 宮内庁の 担当の 方から 身内以外で 親しかった者 ということで 選ばれ 同庁の 方から とりあえず 礼儀 すなわち 段取りを 教わり その後 勅使の方に お茶を 捧呈した とある。 人間 だれしも 此の世から あの世に 渡らなければ 為らない。厳粛なる 通過儀礼で あると 身に染みて 感じた。合掌。