「鴎外の健康と死」の感想
鴎外の健康と死
おうがいのけんこうとし

森於菟

分量:約21
書き出し:昭和二十九年七月九日父(森鴎外)の三十三回忌に、父が明治二十五年八月十日観潮楼落成の日より、その終焉の日、大正十一年七月九日まで住んだ東京市本郷区駒込千駄木町二十一番地の邸趾において、永井荷風さんに揮毫して頂いた「沙羅の木」の詩碑が除幕された。その朝早くラジオ東京と日本文化と二つの放送局から相ついで私の声が流れた。両方とも前後して数日前に父の追憶の話を頼まれ、それぞれの局に行って十分間ほどずつ録音...
更新日: 2025/07/07
艚埜臚羇1941さんの感想

  明治の 大文豪 鴎外の 健康状態は 医者の 不養生とでも 言うべきか。 かなり 彼は 病弱で あったようだ。そして 臨終の 枕頭(ちんとう)では 土壇場(どたんば)の 騒ぎが あったともいう。孫達は 恐いといって 遺体に 近寄らず 遺族の 繰り言が 止まらないので うるさい 黙れと 一喝するものも いたらしい。なかでも 献身的に 鴎外に 仕えた おえいさんは 宮中から 勅使が 見えたときに 宮内庁の 担当の 方から 身内以外で 親しかった者 ということで 選ばれ 同庁の 方から とりあえず 礼儀 すなわち 段取りを 教わり その後 勅使の方に お茶を 捧呈した とある。 人間 だれしも 此の世から あの世に 渡らなければ 為らない。厳粛なる 通過儀礼で あると 身に染みて 感じた。合掌。