生田春月
わが生涯の痛恨の誤植、会議の速記録を原稿に起こしていた際、 「下田街道」とあったので、疑いもなく、そのまま「下田街道」と筆写した。 後日、正しくは、「下高井戸」だったと判明し、始末書を書かされた。 「下田街道」なるものが実際にあるのかどうか、考えるだけでも腹が立つので、今日に至るまで調べていない。 当然だ。