「ナショナリズムについての覚書」の感想
ナショナリズムについての覚書
ナショナリズムについてのおぼえがき
初出:1945年

The Creative CAT

分量:約56
書き出し:どこでだったか、バイロンは longeur というフランス語を持ち出して、そのついでに、英国にはたまたまこの単語はないが該当する事物ならかなり存在する、とコメントしている。同じく、ここに一つの習慣的な精神の持ちようがある。今やそれは蔓延し、ほとんど全ての主題に関する我々の思考の上に影響を及ぼしている。それでいて名前がまだない。現存する最も近い代替品として選んだのは「国家主義《ナショナリズム》」だっ...
更新日: 2022/05/02
cdd6f53e9284さんの感想

これは、第二次世界大戦でドイツが降伏したあと、日本が降伏するまでの間に書かれた評論だそうだ。 だからだと思うが、日本についての言及は、不自然なくらいほんの僅かしかないし、それも「極東の不可解な狂気の国」以上の理解を深めようとする意欲など窺われないほどの冷淡さで埒外に押しやられている印象さえある。 ナショナリズムにしても愛国心に関しても、ナチス·ドイツを検討すれば十分足り、極東の島国などあえて論ずるに値するような独自性など何もないということか、まあ、無視とまでは言わないが、ナチス·ドイツの追随者くらいの認識しかなかったのだろう。 半分は、本当だったのだから仕方がないが、この「埒外」と「無視」の違和感から欧州における日本国の理解の程度に気づかされたという経験を最近もした。 ウクライナ支援に対しての感謝メッセージの中に日本が含まれておらず、支援に奔走した関係者のテンションを大いに下げたことだ。そして、昭和天皇がヒトラー、ムッソリーニと同列に認識されていることも知らされて、ウクライナの、というよりは欧州全体の日本という国の認識の低さを思い知らされて戸惑ったのだと思う。 欧米人の日本認識の象徴のようにいわれる「アニメ」や「美味しい日本食」にいい気になっていた日本人にとっては、それらは当然日本を表すほんの一部のものに過ぎないのだが、彼らにはそれがすべてで、他のことは何も知らないのだということを認識しておかなければ駄目だと気づかされたのではないか。 しかし、それは、日本にしても同じことなのかもしれない。 スターリンのソビエト連邦時代、国を早急に工業化させるために急速な外貨獲得の必要から、ウクライナで収穫された穀物を必要以上に過大に収奪·輸出して、数百万人のウクライナ人を餓死させたホロドモールの記憶を、日本人の誰が共有しているだろうか、 去年だったか、少し前の映画に「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」というのがあった。スターリンの犯罪とホロドモールの悲惨を描いた映画だった。 1933年当時、路上には餓死者の死体が幾つもころがっている凄惨な写真は、ネットでも見ることができる。 21世紀になった今また新たな狂気の指導者によって惹き起こされた戦禍にある現在のウクライナと同じ光景がそこには写されている。