丁寧に読んでも 作者の 詩情が あまり 伝わってこないのは 私の読み込みが 浅いため かもしれない。 ただ 風に 吹かれつつ 佇んでいる 失意の人の嘆きは 少しだけど わかるような 気はした。とくに 韻文の感想は 難儀なものがあると感じた。
ウクライナの伝説の詩人マルーシャ·チュラーイの詩だ、最愛の恋人フルィーツィのことを慕って歌った詩だということだが、これだけでは、どの時点で歌われた詩なのか判断が難しい。 恋人を戦場に送り出した直後の詩だろうか、 それとも音信の絶えた4年のあいだ恋人を待ち続けたときの詩か、 あるいは、彼が戦場から帰還し、今では自分のことなどすっかり忘れて裕福な家の娘と恋仲になっていることを聞き知った時の絶望のときだろうか、 いやいや、その絶望に堪えきれず自殺するために買った毒薬を、久し振りに逢った彼が誤って飲んで死んでしまい、そのために殺人の嫌疑で裁判にかけられ死刑判決を受けた時か。 しかし、考えてみれば、死刑判決後にコサックの首領の赦免状が出て無罪放免されたのちに、亡き恋人の菩提を弔うためにキーフの聖地を巡礼行脚した時こそが、もっとも相応しいかもしれない。 マルーシャ·チユラーイの生きた時代は、日本でいえば、ちょうど徳川家光が治めた時期に相応するそういう時代だ。 そう考えると、そんなに古い時代の話ではない。 wiki によれば、❮マルーシャ·チユラーイは、ウクライナ民謡の発展に大きく貢献した人物で、彼女の歌と生涯を描いた文学作品は、ウクライナの中学、高校で教材として使われている❯そうだ。 そして、ここに掲げられている「風が吹いている」のほかに、彼女の作った民謡が数点挙げてあり、その中でyou tubeにアップされていた「コサックは口笛を吹いて」というのを見てみた。 なるほど、こちらは、男たちを戦場に送り出す勇壮な歌だった。 女たちは、泣きながらではあるが、出陣に遅れないでと、男たちを力強く戦場に送り出している。 誰ひとり、行かないでとか、降服して辱しめを受けても生き延びてなんて、何処かの誰かみたいなことは決して言わない。