やさしさ、かわいさ、、、これらの話には悲しい結末が待っている、 名作は、その結末が分かっていても、その悲しさを味わいたいためか、何回も読んでしまう。
懐かしい
小学生の頃ぶりに読んだ 兵十はもっと悲しそうな表現だったと記憶してたけど、すごくあっさりしているんだなぁ… やらかした事が返って来た結果だし、ただの獣相手だからそこまで悲しいとは思わなかったのかなと思った。 この後、毛皮と肉をどうにかするとかあるのかな
学校でごんぎつねをやったのでとても親しみやすかったです。
みんなの感想に、小学校の国語の教科書で読んだというのが多い。作者新美はこの作品を短編簡潔でインパクトも含め小学生向けに書いたと感じる。 新美がこの作品で小学生に向けたテーマはここに皆が感想として寄せた内容そのものでは、つまりごんきつねへの憐れみや戒めや思い込みやその他云々 、つまり多様な見方が出来る作品を通して子供達に多様な見方をさせる事がテーマが目的だったのでは? 目的は達成され、日本中の小学生達はごんきつねを通して、多様な見方と自らの主張を行ったはずだ。 そして、大人として再びこの作品に触れたとき、その時に感じた思いが今の自分の感情の基礎になっていることを潜在的に感じて思いを新たにするのでは⁉️
学校の教科書で読んだ。 兵十が独りぼっちになる前に、ごんがそもそも独りぼっち。 いたずら、というより生きていくための捕食ではないのか? 人間の近くに行けば食糧があるから自分で漁をするよりも楽なのではないか? 仲間がいれば、人間から害獣扱いされて殺されるリスクを学んで、自分で漁をすることを学んで実践できたかもしれない。 ごんによるうなぎやイワシの横取りと、兵十によるごん殺害、どちらが命を軽んじる行為か? 生命の循環、食物連鎖の流れを作者なりに解釈して、問題提起したのかも。 「お礼は直接」と思っていたところ、栗の「お礼参り」といたずらの報復になっているのは風刺か?
切なかった
ごんぎつねがごんぎつねしててとてもごんぎつねだった
記憶の中では、兵十のために食べ物を持っていっていたごんが勘違いで兵十に撃ち殺されてしまったかわいそうな話だと思っていたが、実際ごんのエゴの話だった。 「ごんのイタズラで兵十のうなぎを逃がしてしまったために、病気でうなされる兵十の母が食べたがっていたうなぎを食べさせることができなかった」…というのはごんの全くの妄想で、そんな事実は描かれていなかった。 それに罪の意識を感じてよかれと思って兵十の家に持っていったイワシは盗品だったために兵十はイワシ売りに殴られてしまうし、兵十はごんが持ってくる食べ物に喜んだりありがたがっている描写は一切ない。 極めつけは、兵十が加助に「それは神様の仕業だから感謝しなよ」と言われているのを聞いたごんが「実際は自分がしていることなのに神様が感謝されるのはつまらないな」と思ったのは、兵十のためを思ってしていることではなく自分がありがたがって欲しくてやっていることのなによりの証拠である。 ごんの視点では思いやりのあるきつねの悲劇のシナリオに見えるが、兵十の視点に立ってみれば、イタズラきつねが勝手に勘違いして頼んでもいない勝手なことをしていたに過ぎない。 兵十がごんの贈り物に喜んでいる描写でもあれば話は違っていたと思うが、徹底して兵十の反応は淡白だったのはこれがごんのエゴの物語だからではないか。
この話が、小学校の国語の教科書に載っていたらしいことを、大人になってから、同世代の人から聞いて初めて知りました。 その人は、子どもの時に感動した童話のひとつとして覚えていて話してくれたのですが、その後も、同じような「感動した人」に逢うたびに(数にすれば結構な人数です)、自分は感動はおろか、教科書に載ってたいたことすらも忘れていたのが、不思議でなりませんでした。 今回、青空文庫に掲載されているの見つけて、いい機会なので再読してみました。 なるほど、なるほど、そういうことですか、これで分かりました。 ごん狐が、罪ほろぼしのために、兵十にそっと栗を届けにきたのに、そうとは知らぬ兵十は、ごんを撃ち殺してしまう。 確かに、この部分だけを強調すれば、「可哀想なごん」には、違いないけれども、母親の死の間際に息子がせめて魚を食べさせてあげたいと思って、せっかく獲った魚をぶちまけたり、浅はかな思いつきで盗品をこっそり渡したことによって、はた迷惑な盗みの嫌疑を受けてしまい打擲され、散々な目にあった「あのこと」と、兵十の銃撃は、決して無関係ではないし、無関係では済まされない、と小学生の自分は考えたのかもしれない。 栗を届けにきたのがごん狐なら、魚をぶちまけ、はた迷惑なお節介によって、いわれのない嫌疑をうけなければならなかったのも、元はといえば、すべてごん狐のせいなのであって、可哀想という「大方の感情」には、小学生の自分は組み出来なかったのだと思います。 この童話、ちゃんと読んだのかよ、と言いたかったのかもしれません。
名前は聞いた事あるけど、読んだ事がありませんでした。 素敵に話で、感動しました。 ここであえて、読めて良かったです✨
楽しかった❗️
誰にも肩入れしない淡々とした描写。狐なのにタンタン(^o^)
久しぶりに読んでみました。 ラストを読んで涙が止まりませんでした。
小学生の頃読んだ記憶しかありませんでしたが、再度読んでみました。 結末は覚えていましたが、展開についてはほとんど覚えていませんでした。 こんなにも虚しい後味の残る作品だったのですね 私も小学生の頃に比べれば経験も増え、ごんや兵十と同じような思いをした事があります。 しかし、その思いを乗り越えて、他人と分かり合うための努力を続け、生きねばならないのだと思いました。
最後の文が感動する
@なんか、寂しいね、
凄く悲しいお話でした。そして、簡単に動物を殺しては行けない事も改めて分かりました。
素晴らしい
途中感動するところがある。