誰も考えを共有できないのだったら、啓蒙の意味などない。
「無いものを、あるかのように考えなければ、なりたたない。」 難解であるけど 一面の真理はあるように愚考する。 当時の留学生の 意気込みが伝わると感じた。
今の思想もそのうち未来人に「かのように」に分類されるのかと思うとなにを信じていいのかわからなくなるから考えないことにした
急速に開明化をとげた明治日本人の、思想上の苦悩を書いた作品。 主人公の秀麿は、歴史家を志す青年。日本で教育を受け、洋行して発展した教育を受けて帰ってきた。さて歴史家として活動しようとするが、欧州の発達した文化思想と日本の旧弊な文化思想とが違いすぎることに苦悩してしまう。例えば、日本の農民は祖先の霊の存在を信じているし、道学先生は天の存在を信じている。一方、欧州では、霊魂の存在などはある「かのように」扱われているが物質的にはありえないというのが周知の事実。ただ、霊魂や神の存在を否定しているわけではなく、便宜上ある「かのように」扱われている。哲学や数学だって、ある思想や点や線といった概念は(実際は無いはずでも)ある「かのように」扱われている。世の中のすべての学問や道徳というものは、そうでないと成立しないからだ。 欧州の、そういう「無くても便宜上は認める」という思想は、明治の日本には存在しない。 秀麿は、そんな思想を持つ自分が、家族(特に父親)や、社会から「危険思想家」として扱われてしまうのではないかと危惧し、なかなか歴史書を書けないでいる。 洋行から帰ってきてにわかに住み慣れた日本に居心地の悪さを感じているようである 一方で友達の綾小路は、「かのように」を化け物だと言い、鼻で笑って「そんなことは気にしない」という。おそらく大多数の人間がこの「綾小路型」なんだろうけど、 繊細なタイプの日本人にとって、明治の文明開化というのは物質的な開化だけでなく思想の上にも、カルチャーギャップというか新しい煩悶をもたらしたのでしょうね。 鴎外もきっと洋行から帰ってきたとき同じことで悩んだのだろうな 明治人の新たな悩みをリアルに見せられたというか実に興味深い作品でした。