暗愚の主君を 主と仰がなければならない家臣は 悲惨の極みで 孤立無援の中で 悪戦苦闘しつつ 仕えるのである。 興味深かったけど 陣立ての地名と任にあたる者の名前を 延々と 記しているのには 辟易(へきえき)した。
筑前国福岡の城主、黒田右衛門佐忠之と、長年それに使えてきた栗山大膳利章という家臣の確執を巡って、一通の封書から始まる事件についてかかれている。 戦国時代の主君と家臣の、深イイ話。って感じ。 家臣の利章は、何も忠之のことが憎くて嘘の封書を幕府に送ったわけではないみたい。 主君に変わってほしかったから、苦肉の策で嘘の封書を認めたんだね。 家臣は、ただ盲目に主君に仕えるのでは駄目で、時には主君の誤った舵取りを正しい方向へと導かないといけないんですね。例えそれで主君から疎んじられようとも。 利章は自分の命をかえりみず、主君の目を醒まさせるために一連の騒動を起こしたのだった。 鴎外がこの記を遺そうと思ったのは、この物語にいたく感激したからじゃなかろーか。 明治人て、そーゆーとこありますよね。急速な近代化をとげ、モダニズムが普及し、旧来の道徳(君臣の在り方だとか家族の道徳とか)が失われるなかで、危機感を抱く人もいたし。 鴎外と同じ軍人であった乃木希典なんて明治帝崩御の時、後を追って殉死してるしね。 現代人的には、共感はできないけれど、明治の日本人にはそうゆーのが美談なのでしょうね。