緩やかな絶命の実況放送とでも 言うべきか。 冒頭の句の対極にある臨終の床に 誰もが避けられない死をむかえる。 難解な表現が 散見されるのには 手こずる。
芭蕉の死に際して弟子たちのそれぞれに想う考え。そしてそれはむしろ芭蕉への愛ではなくて、芭蕉を通して感じる自身の死であったりする
死の孤独さと、人間の利己心と自尊心。 ただそれらは至って当たり前のものである。 だからこそ、登場人物たちの表立って認めたくないような心情も、ぼんやりとした明るさの中で描写されている。
流石の、ピタリと嵌まった描写は勿論の事、其の緩慢な作の装いは、ダヴィンチの『最後の晩餐』にも似た、感慨を起こさせた。
末期の迫った芭蕉の枕もとで弟子達各々の心理のあやを芥川独特の諧謔で描写した作品ではあるが、芭蕉とその周辺に興味のない人には少々退屈かな?