仕草についての描写と、伽藍のような書斎、という表現が気に入った。また、ストーリーに関しては、文鳥の美しさ、漱石のずぼらさなどが見えて「笑える」タイプの通俗小説であったと思う。最後のシーン以外は。また、三重吉という人物についての評価も文中を通して変わっていった。それは、漱石が読者にそう読むように仕向けているのだろうか?と考えた。 漱石の美しい文章と笑える話、そして自虐的なところが好きだ。
自分も似たようなことがありました。 熱が出て餌をやり忘れて死なせてしまった、でもそれは親が餌をやり忘れたせいだと。 そう思うことで罪悪感を無くそうとしたんですよね、卑怯でしょう。 でも、それでも消える訳もなくて、 亡くなって10年ほど経ちますが未だに 残っています。 人って勝手だなって思います。
三重吉から すすめられて 漱石は 文鳥を飼うことにした。 鳥の仕草をみて 昔の女たちを 思い出したりする。 鳥のあらわしかたが 写生のようで 巧みであると 感じた。 漱石は 餌やりを忘れて 鳥を 死なせてしまい 人のせいにして 三重吉に 手紙を出して 言い付ける。 思わず 哄笑してしまった。
何事も責任感は大切だよな。
読み終えた時、なんとも言い難いものが残った。 面倒くさがりな人間の本性が表れている気がする。私が文鳥ならば、漱石には飼われたくないけれど。きっと、三重吉に飼われた文鳥は幸せだろうな。 生き物を飼う前に読んで欲しい。
この話は高校生の時に読んだきりだけれど、相変わらず少しだけもの悲しくて、ちょっとした虚しさがある。 主人公はけして、文鳥に愛がなかったわけではない。ただ、なんとなく飼わされた文鳥に対して、少し怠惰で、少し無関心であったと言うだけで。 きっと仕様のない結末だったのだろうと思う。そんな、ちょっとだけ虚しい、文鳥と過ごした日々である。
素晴らしかった。文鳥の儚い命が哀れでありました。動物は飼い主の愛情を感じて生きているのだと、痛感しました。
鳥好きの私にとっては胸の痛む作品であった。
NHKで昨日、漱石のドラマをやっていたのでこの作品を読んでみた。 文鳥が死ぬシーンでは妻を怒鳴りつけ、文鳥のために葬式をする、とまで言い出す。この作品の原稿を見たいと妻が言うが、漱石は断固として許さない。 文鳥は昔の女を思い出すことを妻には知られたくないのか。 前にもどこかで書いたが、小説家は作品だけが評価の対象であって私生活は関係しない。漱石ほどの大家でも例外でない。
しっかりとした責任感、持続する責任感を持った人でなければ生き物を飼うべきではない。 僕自身生き物を飼うことにに苦い経験があるせいか、この結末に痛い気持ちになった。 短く読みやすく分かりやすく、反面教師となりえる道徳で、子供の頃に読みたかった。