雙之川喜1941 漱石と 長谷川との 二人は 同じ 会社の 従業員 ではあるけど 近くに 住みながら 交流 するでもなく いがみ合う わけでもなく まあ 言ってみれば かなり 一目置く 関係で 淡々と浮き世 ばなれ している ところが じわっと おもしろいなと 感じた。
軽く見えて深い出会い。 友人と呼べるか微妙な線引きの人との 別れの物悲しさが、その人から 託された人達との最終頁の僅か二三行の関係性でより感じてしまいました。
長谷川君とは長谷川如是閑のことに違いないと思って読み進めていたのだが、念のため調べてみると、何と二葉亭四迷のことで、彼の本名が長谷川辰之助と言うらしいことをこれをきっかけに知ることになった。 (そもそも明治期から大正・昭和・戦後高度成長期まで活躍した長谷川如是閑と、坪内逍遙や漱石と同時代で明治の終わり頃に漱石より早く世を去った二葉亭四迷では、同じ朝日新聞社員でも時代が違った。) この種の漱石の散文を読むといつも、矍鑠と言う外はない筆致に反し描写されている風景の何の事はない単簡さとの落差に、漱石一流の落ち着き払った可笑しみと精神の無風洒脱を好む明治期知識人特有の余裕綽々を感じて何とも愉快かつ好ましいのだが(ただ本稿はその結末ゆえ愉快と表すは不謹慎のため例外とする)、しかし後世文学史に名を残す四迷と漱石が互いに君を以て呼び合っていたこの時代の事を思うに、近代文学の勃興期のこの頃、文学の担い手が有していた知識と教養の深み、精神性、それに比することの若さ、時代と共に生きる覚悟、一方の挑戦心、熱意、と同時に併せ持っていた潔さ、また一種の諦感に、令和となった今、誠に隔世の感を禁じ得ない。 時代を経て文学は深まって来た訳ではなく、ごく一部を除きただ迷走し、無意味化し、劣化し、お茶を濁して来たに過ぎないと感じる。 戦後からこの方、後世文学史に名を残すであろう作家として誰を挙げられるだろうか?と思う次第。
私にも覚えがあります。 但し、互いに学生の頃とても深い交流をして、相手が遠くに転居してからは年賀状のみのやり取りになってしまって、とうとうご家族からの喪中の挨拶が届いてしまった事です。 これからも深い交流ができたかのかどうかは解らないけどやはり、相手は一度大病をしていたので何度か遭遇するタイミングがあったのではと思ったりします。 そんな何とも言い表せないもやもやした気持ちを生のまま丸投げして突きつけてくれているようで却って清々しいなあと思いました。
居ます。理解できないまま、もう会うこともなくなった人。 それを、エッセーとして書く、夏目漱石。ここにこの方の面白い所がある。
いつもながら、終わり方が好き。