この作品は何回読んでも飽きない
先生は、どうすべきだったのか。それは、読む人の倫理観によって、変わってくるのだろう。
旧約聖書にある、「人は獣に勝るものではない。」という言葉を想起しました。 人は、その心に、人としての叡智と同時に、獣の本性を併せ持っている。 人として、誠実に生きようとすればする程、心に葛藤を持つに至る。
究極のナルシズム。 苛立ちを覚えるのは誰の心にもある根深い闇だからだろうか? 教科書の切り抜きしか知らなかったけど、どんどん頁を捲りたくなる面白さがある。名作は素晴らしい。
途中までテンポ良かったのに手紙に入ってから長いね。。もっと簡潔にまとめろよとwでもそれがいいのかね。多分何かの雑誌の連載だったのだろう。やむを得ず引き伸ばしたのだろうか。
K は何故襖を開けたのか? 先生に自分の死んだところを見てほしかったのかも知れない。 最悪の目覚めだ。多分一生快眠できないと思う。 本当は怖い夏目漱石の「こころ」
なぜか読みおわったあと 文体が音楽のように 感じたというか、感じさせられたというか 文豪の作品の所以なんでしょうね
まわりくどく、陰鬱で重苦しい作品であった
中国人の私にとって、難しい本だ。
電車に乗るたびに約一月かけて読み終えた。 何年も前に娘から「お父さんも漱石ぐらい読んだ方がいいよ」とこの文庫本を渡された。その時の私は最初の方だけ読んで本棚に眠らせておいたけど、その後娘が結婚するときに貸したこの文庫本を持っていった。それ以来いつかは読まなくてはと思っていたがようやく今となり読み終えることが出来た。 心の中で誰にも伝えられない、いや伝えることのできない秘密、それを初めて伝える事が出来、それをし終えた時が死の時でもあった。
とある芸人の自決の報道が世に出たタイミングで読了した。人には人の事情があり、誰も知り得ることができない。 身体の寿命が老衰なら、心の寿命は自決なのかもしれない。
高校の時読んだが、あれから30年以上経ったが、また新規で読むような気持ちで、のめり込めました
こころがあるから 自死したのか。おなじこころで恋人を 奪いとったのか。ヒッバッテ ヒッバッテ 長編にしてしまう。感動すべきかもしれない。 新聞売り上に寄与し 今頃になって 社の危機をすくうと感じた。
物語は有るが、それはまた別の物語であっていい。漱石を読む時、私達は彼の類い稀な人生観照に驚くばかりだ。今ある人生に、今ある事象に、今ある問題に、今ある人間に、其れ程丁寧に対座し細かく観察し明らかに客観する、而も主観的にありながらまるで独りよがりしない。生きていく上で人間には其の姿勢が大事なのだと思わせて呉れる。あの明治の時代にこれ程の明晰な個人主義が有ろうなどとは。これ程ふんだんに義理人情が有ろうなどとは。物語を紡ぐ人生観の確かさ、其の語彙力の豊かさ美しさ、だから漱石の小説は少しも古くならない。こころは其の頂点であろう。
中学1年になる娘が、私の書斎を探り、漱石を引っ張り出したようだ。書生時代に読んだ文庫を今娘が読んでいる。ラインマーカやボールペンで汚れていて、「引いた線には何の意味があるのか?」と写メをよこした。今となってはどういう了見でそんな真似をしたのか分からない。余白に女の名前や私の陳腐な死生観でも書いてやしないか心配である。娘が漱石を読む年になった喜びと父親の過去を暴かれる不安とが同居した。そもそも、「こころ」のあらすじを忘れていたので、今更ながら読み返した次第である。
そもそも最初で内容が理解できないのは当たり前なのかもしれない。 我々にとっての今の「自殺」とは決定的な不幸(いじめやブラック務め)から来るものだからKや先生の自殺に「意味がわからない」というのも納得がいく。しかし、我々は今を生きる人だからそもそもの道徳論や死生観が昔とは決定的に違う。ただの物語として読むのではなく、彼らの時代の考え方や死生観を学ぶとまた違った感想が出てくると思う。昔の有名文学が今になって評価されにくくなっているのは我々の価値観が変わったからである。
登場人物が揃いも揃って似たような堅物でつまらない。漱石先生は、人物像の書き分けが下手なのでは? 国語の教科書に必ず掲載される慣習があるが、近年、大勢の学者間の論争では駄作の評価に傾いてもいますし。
つまらなかった。
漱石すご
えええ、ここで終わり!? おもしろいし美しいし文句なしですが、びっくりしました。