板子一枚下は 地獄。 そのまた下は 地底。 下降志向の青年は 望んで 働く。 気管支炎が 見つかり 帳簿付けに 転じる。 底意地の悪い抗夫達は 卑屈な迎合的な態度にでる。半年間の体験。 漱石は 新境地を 目指したような気配はある。 目論見は 失敗と思う。
芸術家漱石の手による前作『虞美人草』から百八十度転換して、今作は江戸っ子漱石による別の「坊ちゃん」の物語。章立てもなしに流れるような文体を最後まで一気に読み通すことを強要されるところは『坊ちゃん』のままである。途中、筆が滑って「坊ちゃん」文体が丸出しになったと思ってクスリと笑うと、立て続けに「江戸っ子」云々と来て、「この主人公はさすがに坊ちゃんみたいな江戸っ子丸出しとは違うだろう」と心配したら、その先に早速、主人公自ら「坊ちゃん」論を打つという調子。荒井某なる青年がふらりと漱石の元に現れ、自分の一風変わった体験を小説の話題として漱石に買って貰い、そのカネで信州に行きたいと語ったところからこの小説が生まれたというのは周知のところである。見知らぬ外来者による小説のアイデアの持ち込みをそう気安く受け付ける漱石とも思えないが、何不自由なく育った青年が、三角関係の煩悶の末に出家奔走、ポン引きに誘われて地獄の三丁目のような鉱山の穴蔵の底まで出掛ける羽目になるその経緯が漱石の関心を引いたものと見られる。早稲田一帯に大きな権勢を振るう名家に生まれながらも誕生時点から複雑な境遇に揉まれ、創設まもない帝大を英才として卒業して政府の指名でイギリス留学に出掛けるまでになっても、その後、文学博士として高名を掲げるでもなく、民間新聞社の社員作家としてこき使われて早死にした漱石らしいところである。 漱石世代における世界文学の流行りに「意識の流れ」というものがある。提唱者はアメリカの心理学者ウィリアム・ジェイムズで、ジェイムズの『宗教的経験の諸相』冒頭で論じられているような近代合理主義の時代における心理学の「医学的唯物論」的傾向に対する批判的立場から始まったものである。時代の名士であったジェイムズの名前は漱石の文章に見られるが、ジェイムズの「意識の流れ」的立場の先例として挙げられるスターンの『トリストラム・シャンディ』も漱石の好んだ作品だった。19世紀半ばから始まったダーウィン時代に世界を覆い尽くした近代合理主義は客観の時代であって、人間心理についても客観主義、つまり「ものの論理」で扱ってしまう傾向が強い。これに対する反動として、つまり客観主義の裏返しとしての主観主義に陥るのではなく(往々にして主観主義なるものは、反論理主義、反合理主義、反理性主義に突き進む)、人間心理というものを「ことの論理」(現象論)から取り扱うのが本来のジェイムズ的姿勢だったと言える。このような立場に立脚して書かれた『抗夫』は、全編が語り手の一人称的心理分析で埋め尽くされている。『抗夫』が、立て板に水の如き一人称で一気に話を突き進める『坊ちゃん』の延長で書かれた作であるとして、一方で本作はそれを一歩先に進めて「意識の流れ」的立場を自覚的に持ち込むことで、新しい試みとなっている。
漱石自身の経験、見聞きしたものでは、ないかと、思う、 実際の足尾銅山の見学から、 思うに、書かれてるように、過酷、劣悪な死と隣り合わせ の現場が、近代日本の礎になっていた事に想いをはせる