「京に着ける夕」の感想
京に着ける夕
きょうにつけるゆうべ
初出:「大阪朝日新聞」1907(明治40)年4月9日~11日

夏目漱石

分量:約13
書き出し:汽車は流星の疾《はや》きに、二百里の春を貫《つらぬ》いて、行くわれを七条《しちじょう》のプラットフォームの上に振り落す。余《よ》が踵《かかと》の堅き叩《たた》きに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉《のど》から火の粉《こ》をぱっと吐《は》いて、暗い国へ轟《ごう》と去った。たださえ京は淋《さび》しい所である。原に真葛《まくず》、川に加茂《かも》、山に比叡《ひえ》と愛宕《あたご》と鞍馬《くらま》、こ...
更新日: 2020/11/07
19双之川喜41さんの感想

 亡き子規と 京を訪れたことを思い返す。 妓楼で 方尺の穴から「もしもし」と誘われるので 真ん中を歩いたと言う。 深夜に 置時計が 銀椀を象牙の箸で打つような音がしたとある。以下の表現が美しいと感じた。

更新日: 2016/08/14
2ae781e1191fさんの感想

正岡子規への追悼エッセイ? 子規と過ごした京都での想い出、親愛の情が文章のそこかしこに感じられた。

更新日: 2016/07/18
fd6d85073f52さんの感想

漱石と京都と子規の話だった

更新日: 2016/02/08
67dd89f1457fさんの感想

明治の頃の下鴨はそれは寒かったそうで、糺の森の南ではそれを生かして寒天工場が操業していたという。(碑が立ってます) その後、高野川左岸に染工場が立ち、煤が空気に混じるようになったため、品質のために移転したとのこと。 そんな時代です。

更新日: 2016/01/19
d1cac836a2e3さんの感想

エッセイ 子規ととても仲がよかったんだろうなと思った