亡き子規と 京を訪れたことを思い返す。 妓楼で 方尺の穴から「もしもし」と誘われるので 真ん中を歩いたと言う。 深夜に 置時計が 銀椀を象牙の箸で打つような音がしたとある。以下の表現が美しいと感じた。
正岡子規への追悼エッセイ? 子規と過ごした京都での想い出、親愛の情が文章のそこかしこに感じられた。
漱石と京都と子規の話だった
明治の頃の下鴨はそれは寒かったそうで、糺の森の南ではそれを生かして寒天工場が操業していたという。(碑が立ってます) その後、高野川左岸に染工場が立ち、煤が空気に混じるようになったため、品質のために移転したとのこと。 そんな時代です。
エッセイ 子規ととても仲がよかったんだろうなと思った