息をしないコンクリートの箱住まいには、聞香もお湿りも悲しいかな泣菫が懐いた「しをり」を「聞くこと」あたはず、なのだが、古来自然界の妙味にこころ育んできたご先祖の住まい方や生き方にこうして触れ得ることはありがたいように思う。野蛮な近代−現代の破綻しかかった物質文明の中で、落とし物を拾ったようなしあわせ。露伴と泣菫とのやり取りも、おやっと思う。文学者の矜持は実体験に裏打ちされるものの方に軍配が上がると思うが、そんなことは些末なことである。雨を聞き、雨滴にきらめくタチアオイのすっくと立つを眺め、柔よく剛を制す。
鯰(なまず)切りのことを 釣り名人として名高い 京都大学の講師をしていた頃の 幸田露伴に話したら 露伴から 鯰は臆病なので そんなはずはないと 言われたと ムキになって 話しているのが 何とも面白い。 聞香(もんこう)を たしなむとは 奥ゆかしいと感じた。
読了後、雨の日の空気が漂ってきました。
内容がイマイチ