なんだか理想論であるような気がする。ぼくは高い所に立って全体を見渡したこともないし、これからそのために生きたいとも思えない。目的は確かにないけれど、目的があるのも身勝手な理由づけじゃないのかな。
近代化=性急な(せっかちな) と啄木は指摘する 明治と平成を比較しても意味はない 大正が近代なのだろう もっとも、コンピューターの情報処理能力や東京/大阪間の新幹線などの物理的なスピードを問題にしている訳ではない たとえば 平成の世でも大ブーム?の 不倫について 不倫は背徳、罪であるという従来の道徳があり、近代的視線からするとそれは自然の摂理に反する 男女の関係は自由であるべきである という考え もし、それが通説として確立していたなら、少なくとも平成の日本は 妻(夫)を愛していれば、他人と性行為をしても自由だ つまり、浮気は容認できる 幸運にも平成時代は啄木が心配した、道徳乃至人間が破産はしていない 「今日の仕事は明日の仕事の土台」 名言だ 土台を破壊してはダメなのだ 大切なのは反省し改善なのだ ‘人を殺して何が悪いのだ!’ という正気な人間に ‘そうだね。人間も動物、動物なら本来自由に本能のままに生きるのが自然だ!法も道徳も社会も必要ない。君の言う通りだ’ なんて、誰が言うだろうか 先達の知恵や思想はソクラテスや孔子の時代から「土台」として存在する