日露戦争に前後して、作者は大作を完成させようと意志をあらたにする。そして小諸を後にして東京に住まいを求めた。所帯のこともあって東京のほうが都合がよく生活もたつと考えたからである。新開地に住んで新たな生活がはじまり、大きな仕事をはじめようとする筆者であったが、まだ赤子の末っ子がなくなる。それですまずに、子供を次々になくすことになった。所帯を維持しようとしてこうじた手段でかえって、うまくいかなかった。まだ医療が充分でないとはいえ、芽生をつむ話をトルストイ論のなかにみつけて身のつまされる筆者であった。どこか気が変になりそうな気がして、ある日信州に居る時分によく遊びに行った温泉宿へとたったのであった。 作品中の大作が夜明け前だとすると、どこか作品の内容が並走しているようで興味深い。現代的な解釈で考えると、家というものや、家庭、子供、女性のあり方は異なっていて、そのまま受け止めるわけにはいかないだろうが、不条理さ、不合理さを通りこして隙間に落ち込んでいくような狂気がある。