「黄粱夢」の感想
黄粱夢
こうりょうむ
初出:「中央文学」1917(大正6)年10月

芥川竜之介

分量:約3
書き出し:盧生《ろせい》は死ぬのだと思った。目の前が暗くなって、子や孫のすすり泣く声が、だんだん遠い所へ消えてしまう。そうして、眼に見えない分銅《ふんどう》が足の先へついてでもいるように、体が下へ下へと沈んで行く——と思うと、急にはっと何かに驚かされて、思わず眼を大きく開いた。すると枕もとには依然として、道士《どうし》の呂翁《ろおう》が坐っている。主人の炊《かし》いでいた黍《きび》も、未《いま》だに熟さない...
更新日: 2022/10/15
鍋焼きうどんさんの感想

邯鄲の夢。一炊の夢。人生を半ば以上過ぎて思うと本当に時の過ぎるのは瞬く間。これまで無事に過ごせてきたのが有難い。芥川は盧生を通して生きることの意義を宣言していたのに若くして残念な選択をした。

更新日: 2022/06/30
2e0beb017adaさんの感想

芥川さんの中國人のファンだ、高校時代に彼の作品集を買って讀んでからは、好きになって、特にその中國か日本の傳統文化に關しての物語だ。この「黃粱夢」という作品がとても氣に入れている。なぜなら中國傳統物語を述べる同時に、また自分の個人思考を妙に混ぜるかもしてないと思う。原版の物語の中における「盧生」は目覺めて、さっきの經驗がそっと一場の夢だと意識した上で,遂に紅塵を看破し、科舉を諦めて、隱居にいった 。でも、芥川さんは物語の元の結尾を書かない、 「盧生」を彼の意志の投影にして、「盧生」の口をもって、人生の甲斐を言う、 生でも死でも全部は人生だ、それにただ一回だ、 それにしても、良く生きているのはこ凡人にとって最高の選擇だ。

更新日: 2020/08/03
19双之川喜41さんの感想

 真に生きたと 思える為には さらに 生きたいと言う。死に際に もう 沢山だと 思う人の方が 多いような 気がする。