邯鄲の夢。一炊の夢。人生を半ば以上過ぎて思うと本当に時の過ぎるのは瞬く間。これまで無事に過ごせてきたのが有難い。芥川は盧生を通して生きることの意義を宣言していたのに若くして残念な選択をした。
芥川さんの中國人のファンだ、高校時代に彼の作品集を買って讀んでからは、好きになって、特にその中國か日本の傳統文化に關しての物語だ。この「黃粱夢」という作品がとても氣に入れている。なぜなら中國傳統物語を述べる同時に、また自分の個人思考を妙に混ぜるかもしてないと思う。原版の物語の中における「盧生」は目覺めて、さっきの經驗がそっと一場の夢だと意識した上で,遂に紅塵を看破し、科舉を諦めて、隱居にいった 。でも、芥川さんは物語の元の結尾を書かない、 「盧生」を彼の意志の投影にして、「盧生」の口をもって、人生の甲斐を言う、 生でも死でも全部は人生だ、それにただ一回だ、 それにしても、良く生きているのはこ凡人にとって最高の選擇だ。
真に生きたと 思える為には さらに 生きたいと言う。死に際に もう 沢山だと 思う人の方が 多いような 気がする。