ほとばしる青春を短く生きた作者の愛の叫びの詩だ。火の山、湖、青い雲、風立つ、青い果実一体何処の風景であろうか? 堀辰雄の「菜穂子」の中に都築明として描かれていることから軽井沢とその周辺の風景を描いたものであろう。心を突き動かされる。
本文の、わかれる昼に、の最後の文。 ひとよ いろいろなものがやさしく見いるので 唇を噛んで 私は憤ることが出来ないようだ やさしい目にじっと見られる私が、苦しむや憤慨するも出来ないのに、自由であるよりも美しい気がする それは立原道造が、あえて口語を用いて詩の世界に形式的な美、日本語の音の響きを意識したからだろうか。
読み 意味 すんなり理解できない箇所が かなりあるので 詩情を 味わうのに 過不足なく 読みといたとも 我ながら 思われない。 立原の詩は こなれているという印象は 思い込みかなと感じた。
うーん、自分が不勉強なもので解りません 出会いと愛と別れの思い出を四季に併せて詠んでいるのでしょうか? ただ何となく、並々ならぬ想いは感じます
過去の幸せで、穏やだった”ふたり”の記憶。現実は、移ろう四季と過去への”独り言”。 酸いも甘いも味わった30歳前後の男性(執筆時の一般的男性像)でしょうか、 愛しい”人”と”夢”に別離と邂逅の感覚を緩やかに綴る、独白体の文学ですね。