とても美しいものを見たような、とても恐ろしいものを見てしまったような、いままでにない感覚。一文一文が短く簡潔なのに、眼前に景色が豊かに広がっていくような文章でした。
この方の日本語心地よい。坊っちゃんが亡くなった後の悲しみや儀式は敢えて描かなかったのか。さらりと終わったが何か後に残った。
宿屋の 幼い息子は 泊まり客である 子供たちを 遊ばせるのが 巧みであった。 ある時 遊ばせるのに夢中で 階段から落ちて そのまま死んでしまった。 点灯夫▫銅 壷の 湯気▫飛脚の提灯など 風情にあふれていると感じた。
母親の悲しむ描写がすっぽり抜け落ちているのは、あえて余白を作り、読者の想像で埋めてもらおうとしているのでしょうか。 自分の命をどれほど特別視しても、死ぬ時はあっさり死ぬ、という無常感じみたものを感じました。
世の中は常に無常であって、尚日々は繰り返される。灸や女の子のあどけない可愛らしさの光景が、目に浮かぶような鮮やかな表現だった。横光利一氏の小説は初心者だがこんなに美しい文を描く人だったのか。 哀しく美しく儚い。可憐なシャボン玉が弾けて割れたような終わりだった
校正もれがあります。2箇所かな。
横光の小説はいつも私に大切なことを思い出させてくれる。つまりどういうこと?という、要約の衝動がこんな時にも現れる病のようになっていることと、小説は本質的に要約とは相容れないものだということを。 だから、自分が自分で扱いにくくなると横光を読む。効き目は抜群だ。