鼻の奥のほうがつーんとなった どうしても気が滅入る介護のしんどかった時期を思い出す
介護は辛いことの連続です。
葬式で棺桶の中の故人に花を手向ける花入れの儀と、この物語の最後の描写が重なった。スイトピーは「別離」「門出」という花言葉を持つらしい。 彼の献身さは冷静ゆえか、一種の諦めか…これこそが愛なのだろうと思わされる。妻は幸せ者だ。読み進めていく内、彼と共に一年かけて妻の旅立ちへの心を構え、餞別もし、送り出したつもりだが、読了後は火葬場の大きな硝子が張った待合室の静謐な空気の中に一人取り残された気分になった。 綺麗な結末なのだが、彼がこの話の後どんな行動をとったのか想像を膨らませてしまうほど彼の冷静さに対し心を乱される。彼に共感し妻との別れを嘆いたのに、彼の冷静さに心を乱される辺りいつの間にか妻にも共感していたのだろう。どちらも魅力的なキャラクターでありながら、この妻と一緒でなければ冷酷な彼になり得るし、この彼とでなければ自分本位な妻にもなり得る。この2人だからこそ悔いなく往生を遂げられるのだろう。 彼と妻、相互の清らかな愛を保たせた風景の語りがとても美しく、それだけでも涙が誘われるほど引き込まれる。モネの睡蓮を思い描きながら読んだ。
死と生は、当然対比させられる事で語られる。そりゃそうだ。と、思っていた。堀辰雄氏の一連の作品を無理やり読まされた後だったので、特にそう思い込んでいた。そこに清々しい死生感があらわれたのだ。 死を怖れるのが何か恥ずかしくなってしまった。誰の枕元にどんなセリフで出てやろうかと書き溜めた数冊のノートも簡単に捨てられる。 これを読んでから横光利一氏の作品を、全て読み直す事になった。以前読んだ小学校の頃にはこんな感じは無かったなぁ。
病床の妻とその夫。夫は妻を冷静に看病しているように見えるが、やはり人間としての情はあった。 そして、夫婦の性格はよく似ている。 きっと、生まれ変わっても2人は夫婦になるのかもしれない。
献身的に、妻の闘病生活を、支える。 そんな中でも、ユーモラスな会話が、かわされる。 春の訪れは、遅々として進まず、スイトピの花に、目をとじる。又4
とても美しく、切ない気持ちになりました。
自然と涙が出てきた
なんだか清らかな気分になりました。
肺病でメンタルもやられた妻と、献身的に看護する夫の話。行き着く先は悲しみだけなのに、不思議と満足感やとりまく環境の美しさがあった。
春は馬車にのって彼女を迎えに来る。 (まるでかぼちゃの馬車がシンデレラを迎えに来たかのように美しい終わり方です。) 理想的だが、それでも別れる運命にある二人を春風のように爽やかに描いた作品でした。
美しい ただ美しい