わたしのちち
書き出し
私の覚えている父は既に五十であった。髪の毛などは既にやや薄くなっていたように思う。「何さよ気分に変りは無いのじゃがなア」などと、若やいだようなことを言うていることもあったが、何しろ私の目には既に老人であった。名は堺得司。父の顔にはかなり多く疱瘡の跡があった。いわゆるジャモクエであった。しかしその顔立ちは尋常で、むしろ品のよい方であった。体格は小柄で、しかも痩せぎすであった。サムライのたしなみとして…
幕末維新懐古談
鮎釣に過した夏休み
書斎