青空文庫

「内藤湖南」の作品

内藤湖南

ないとうこなん

生年:1866-08-26没年:1934-06-26

寧楽

なら

初出:「亞細亞」1893(明治26)年7月15日、第二巻第七号(一)、1893(明治26)年8月15日、第二巻第九号(二)

11

学変臆説

がくへんおくせつ

初出:「反省雜誌」1897(明治30)年3月1日、第十二年第二号

10

北派の書論

ほくはのしょろん

初出:「大阪朝日新聞」1911(明治44)年3月26日

18

文溯閣の四庫全書

ぶんそかくのしこぜんしょ

初出:「大阪朝日新聞」大阪朝日新聞社、1912(明治45)年7月28日

6
2016/12/07

b9ef941530ccさんの感想

内藤湖南の四庫全書についての明治時代当日の保存情態を述べている。情態は新刊書の如く綺麗なのは利用されていないことであろうが、よく保存されている。民衆に閲覧利用出来るようになっていた。

弘法大師の文芸

こうぼうだいしのぶんげい

初出:弘法大師降誕會講演、1912(明治45)年6月15日

63

支那の書目に就いて

しなのしょもくについて

初出:大阪府立圖書館に於て圖書館協會大會講演、1913(大正2)年

42
2016/12/14

b9ef941530ccさんの感想

内藤湖南のシナ目録学は、古代の方が良くできていて、後代はだらしなくなっている。漢書藝文誌は書評も良くできている。劉向・劉鈞の七藝などは良くできた目録である。隋書経術誌になると単なる目録だけになる。旧唐書の藝文誌は開元時代の現存した書の目録であるので価値あるが、新唐書の藝文誌になると、目録だけになるで、実物の確認もない。宋代以降は伝聞だけの目録にもなり、だらしない。明朝ほ駄目。清代の四庫全書総目録はよい。

支那に於ける史の起源

しなにおけるしのきげん

初出:中等学校地理歴史教員協議会講演、1915(大正4)年12月6日

30
2016/12/26

b9ef941530ccさんの感想

内藤湖南のシナの史の原意は数を数える官であり、そこから天文館暦法に繋がる。日本の歴史は一つの独立した文化の歴史であるが、それよりも古い歴史をもつシナの影響を無視否定はできない。戦前の中学校歴史科の先生には教科書検定の検定官も歴史認識の誤りもあるので、くれぐれも過ちに嵌まらぬよう注意して下さい。

支那古典学の研究法に就きて

しなこてんがくのけんきゅうほうにつきて

初出:「東方時論」1917(大正6)年2月発行、第二巻第二号

11
2016/12/20

b9ef941530ccさんの感想

内藤湖南のシナ古典学の研究では、シナの古典では、その典籍に暫し竄乱があり、真実をよく見極める必要がある。日本人研究者の研究には期待ができる。

近畿地方に於ける神社

きんきちほうにおけるじんじゃ

初出:史學地理學同攻會講演、1919(大正8)年8月

48

日本上古の状態

にほんじょうこのじょうたい

初出:「歴史と地理」1919(大正8)年2月

15

日本の肖像画と鎌倉時代

にほんのしょうぞうがとかまくらじだい

初出:史學地理學同攻會講演、1920(大正9)年12月

23

平安朝時代の漢文学

へいあんちょうじだいのかんぶんがく

初出:史學地理學同攻會夏季講演會講演、1920(大正9)年8月

19
2016/12/13

b9ef941530ccさんの感想

内藤湖南は海風藻の4分の1以上が帰化人かその子孫が漢文で書き、弘法大師はシナでは、失われていた唐詩文の細かなルールを自著に書きに残した。この為シナ失われたところを補っている。日本語の五十音は梵語学の影響からきて、シナの音韻学の影響から明確に整理された。古代はい音とう音が曖昧であった。内藤湖南は概して古代音は曖昧であったと論じている。

応仁の乱に就て

おうにんのらんについて

初出:史學地理學同攻會講演、1921(大正10)年8月

42

尚書稽疑

しょうしょけいぎ

初出:「支那學」1921(大正10)年3月発行、第一巻第七号

32
2016/12/19

b9ef941530ccさんの感想

内藤湖南の尚書稽疑は、尚書は数種類あり、孔子は東周周公時代を理想とし、尭舜を古代君主の理想としたが、墨子の尚書には禹があり、その他には黄帝もある。これらは、当時の思想家が産み出したもので、孔子が対抗上尭舜に禹を加えたりしたのであろう。

爾雅の新研究

じがのしんけんきゅう

初出:「支那學」1921(大正10)年9、10月発行、第二巻第一号、第二号

31

日本文化とは何ぞや(其二)

にほんぶんかとはなんぞや(そのに)

初出:講演、1921(大正10)年

12
2016/12/12

b9ef941530ccさんの感想

内藤湖南は西洋人は外の文化を見習う事はしない、プライドの高い連中だが、東洋人は進んだ文化を積極的に学ぶ。日本人の文化はシナの影響下から発展してきた。

女真種族の同源伝説

じょしんしゅぞくのどうげんでんせつ

初出:「民族と歴史」1921(大正10)年7月

10

概括的唐宋時代観

がいかつてきとうそうじだいかん

初出:「歴史と地理」1922(大正11)年5月発行、第九巻第五号

19
2016/12/15

b9ef941530ccさんの感想

内藤湖南のシナ歴史学の唐宋時代のは歴史のターニングポイントである、 という論説。

禹貢製作の時代

うこうせいさくのじだい

初出:「東亜経済研究」1922(大正11)年2月発行、第六巻第一号

14
2016/12/28

b9ef941530ccさんの感想

内藤湖南の禹貢の製作年代は元々は古くから伝わった地理書であるが、戦国漢初の知識を盛り込んで書かれた地理書であると考えれば、有用な古代シナの経済事情史料となろう。

日本文化とは何ぞや(其一)

にほんぶんかとはなんぞや(そのいち)

初出:「大阪朝日新聞」大阪朝日新聞社、1922(大正11)年1月5日~7日

16
2016/12/12

b9ef941530ccさんの感想

内藤湖南の日本文化はシナの影響下に日本独自の才能を伸ばした独特の文化であるが、朝鮮や高句麗はシナの統治下から刺激を受けて国家なるものが生まれた。

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