室生犀星の印象
むろうさいせいのいんしょう
初出:「秀才文壇 第十八年第六號」1918(大正7)年6月号
約5分
cdd6f53e9284さんの感想
以前、この青空文庫で、萩原朔太郎の「芥川龍之介の死」を読み、萩原朔太郎の筆力に大変感心した、
それは朔太郎自身のことも含めた、とりわけ交友者たちに対する的確な描写に対してだった。
そこで語られたのは、芥川龍之介の自死を契機とした芥川と朔太郎自身の交友関係の微妙な温度差の機微(気持ちの行き違いなど)を、実に繊細な分析によって解き明かしているのだが、その二人の関係に濃密に関わってきたのが、室生犀星だった。
あの「芥川龍之介の死」のなかにも、こんなくだりがある。
《室生犀星君は、最近における故人の最も親しい友であった。
室生君と芥川君の友情は、実に孔子の所謂「君子の交わり」に類するもので、互いに相手の人格を崇敬し、恭謙と儀礼と、徳の賞讃とをもって結びついていた。
けだし室生君の目から見れば、礼節身にそなわり、教養と学識に富む文明紳士の芥川君は、まさに人徳の至上観念を現す英雄であったろうし、逆に芥川君の目から見れば、本性粗野にして礼にならわず、直情直行の自然児たる室生君が、驚嘆すべき英雄と映ったのである。
すなわちこのふたりの友情は、所謂「反性格」によって結ばれた代表的な例である。》
この前振りは、朔太郎が、自身のことについて言及するための切っ掛けにすぎないが、芥川と犀星の関係、犀星自身のひととなりが十分に了解できる一文ではある。
しかし、朔太郎は、もう一歩踏み込んで、芥川との親密な交友関係を築けないでいる。
その辺りの迷いについて、朔太郎はこう書いている。
《ちょうど、ひどい憂鬱の厭世観に憑かれていた私は、談話のあらゆる本質点において彼と一致し、同気あい引く誼みを感じた。
だが私は彼の厭世観念の真原因が、どこにあるかを判然としりえなかった。
多分その絶望的な病気と、それに原因する創作力の衰弱とが、事情の主たるものであると思う。かつひとつには、例の「人の心を見通す」聡明さから、彼一流の思いやりで、たまたま私と相槌を打っているのだとも考えた。
実にこのひとつの邪推は、彼に対する交際の第一日から、私の脳裏に根強く印象されたものであった。
彼はあらゆる聡明さで、あらゆる人と調子を合わせて談話する。
だがその客が帰ったあとでは、けろりとして皮肉の舌をだすだろう。
そしていかに相手が馬鹿であり、愚劣な興奮に駆られたかを、小説家特有の冷酷さで客観している。》
こうした過敏な感受性は、幾分かは朔太郎の被害妄想の部分もあったには違いないが、全否定まではできないかもしれない。
芥川の何気ない一言が、犀星を傷つける場面がある。
こうだ。
《その夜さらに、室生犀星君と連れだち、三人で田端の料理屋で鰻を食べた。
その時芥川君が言った。
「室生君と僕との関係より、萩原君と僕との友誼の方が、遥かにずっと性格的に親しいのだ。」
この芥川君の言は、いくらか犀星の感情を害したらしい。
帰途に別れる時、室生は例のずばずばした調子で、私に向かって次のような皮肉を言った。
「君のように、二人の友人に両天かけて訪問する奴は、僕は大嫌いじゃ」
その時芥川君の顔には、ある悲しげなものがちらと浮かんだ。
それでも彼は沈黙し、無言の中に傘をさしかけて、夜の雨中を田端の停車場まで送ってくれた。
振り返って背後を見ると、彼は悄然と坂の上に一人で立っている。
自分は理由なく寂しくなり、雨の中で手を振って彼に謝した。
そして実に、これが最後の別れであったのである。》
あるシチュエーションの中でなら、その中に置かれた人間の感情の動き(失意や絶望)を緻密な計算によって導き出せることはできても、日常生活のなかのさりげない一言によって人が深く傷つくことがあるのかもしれないことを、芥川龍之介は生涯理解できなかったタイプの人間だったと、目の前で室生犀星が傷つく現場に立ち会って、萩原朔太郎は感じ取ったのかもしれない。