学生時代
がくせいじだい
初出:「中學文藝」1906(明治39)年6月臨時増刊
約7分
3afe7923d6ecさんの感想
明治維新前後、開国に踏み切った日本の指導者たちは、欧米列強の強大な軍事力と、進んだ文化を目の当たりにし、それに比べて日本があまりにも立ち遅れている現状を憂い、列強にひけを取らない早期の国家建設の必要性を痛感する。
そこで欧米から多くの学者、高度な技術を有した技術者、教育者を多数、招聘した。
政府の招きに応じて来日した雇われ外国人たちが、まず日本に来て驚いたことというのが、識字率の高さと、素早く正確な計算能力だった。
そこで、この寺子屋の話が出てくるわけだが、この幸田露伴の「学生時代」を読んで驚いた。
入学(あるいは入門とか入塾)は、申告すれば誰でも入ることができるが、入ったからといって、そこで手取り足取り懇切丁寧に教えてくれるわけではない。
まず、生徒の自主性が重んじられ、指導に当たる先生は、せいぜい、その生徒にふさわしい本をアドバイスするくらいだと書いてある。
生徒は与えられた教材を読み込み、どうしても「分からない箇所」に出会うと、出来るだけ自分で解決するべく努力した後に、さらに理解できなければ、初めて先生に質問する。
まさに「無知の知」だ。
確か論語にも、学んで習わざればすなわち云々とかあったはず、あれだな。
この自主的な向学心と、求められるのを待って初めて「その疑問」に答える、これって、まさに教育の理想じゃないかと感心した。
雇われ外国人教師たちも、これには驚いたはずだ。
そこで、教育の制度としての確立と普及が、国を起こす要提だというこの日本の教育制度をモデルにして、世界の後進国がまねてみた、しかし、日本のようには、どうしてもうまくいかなかった。
ひとつには、高等教育を受けた者が、その知識を自国の発展のために使うのではなく、金儲けのできる先進国に流出してしまったこと、
もうひとつは、教育の普及が、必ずしも高潔な人格形成につながるわけではない、ということが明らかになったからだ。
世界は、日本のことも、そして日本の教育も誤解していたことを悟った、教育の普及が、高潔な人格をつくるのではなく、高い向学心と高潔な民族性が、自然発生的に学びの場を生み出したのだと。
それが、「寺子屋」だ。
この幸田露伴の「学生時代」は、そのことを僕たちに教えてくれている。
東京帝国大学で英文科の教授をしていた小泉八雲は、学生たちに、読むべき本を具体的に示しているのだが、その前に選択の基準を明示している。
ひとつは、「時の試練に耐えてきた本」
そして、もうひとつは、「二度、ないしはそれ以上読みたくなった本」と限定しつつ、以下の書籍を上げている。
ゲーテの短編(念頭には、ヴィルヘルム·マイスター修行時代中のミニオンの物語や遍歴時代の新しいメルジーネがあったらしい)
聖書のヨブ記
ロンゴスのダフニスとクロエー
アベ·プレヴォーのマノン·レスコー
アンデルセン童話(とりわけ 可愛い人形姫)
ギリシャ神話(英語版キートリーの古代ギリシャとイタリアの神話)
ホメーロスのオデュッセイア
ギリシャ悲劇のソフォクレス、アイスキュロス、エウリピデス、
ギリシャ喜劇のアリストファネス
田園詩のテオクリトス
ラテン文学のヴェルギリウスのアエネーイス
アプレイウスの黄金のろば
北欧神話のサガとエッダ(マレ「古代北方の文物」)
原語で読むべき近代文学として
ゲーテのファウスト
ハイネの詩
ダンテ
モリエール
マロリーのアーサー王の死
シェイクスピア
欽定訳聖書
(by ハーンの読書論)