青空文庫

「寺田寅彦」の作品

寺田寅彦

てらだとらひこ

生年:1878-11-28没年:1935-12-31
作品数:304

明治〜昭和

物理学者随筆家俳人夏目漱石科学と文学

寺田寅彦(1878-1935)は、東京生まれの高知県育ちの物理学者であり随筆家。熊本第五高等学校在学中に夏目漱石と出会い、その影響を強く受けた。東京帝国大学理科大学を経て物理学の研究に従事し、X線結晶透過などの業績で帝国学士院恩賜賞を受賞した。自然科学者としての視点を持ちながら、漱石の薫陶により文学的感性も豊かに育み、「理と文の人」として知られる。随筆では科学と日常を融合させ、ユーモアと教養に富ん…

まつり

初出:「ホトトギス 第三巻第二号」1899(明治32)年11月10日

4
2025/07/15

艚埜臚羇1941さんの感想

  寺田家では 春秋 二回 先祖 祭りが 行われる。祭壇の 前に かしこまり 我が名を 申し上げて かしわ手を 打つ。花瓶の 檜扇の 花びらが 落ちて 菊の 上に 載った。一家一族を あげての 年中行事で あった。 

ほし

初出:「ホトトギス 第三巻第一号」1899(明治32)年10月26日

1
2016/10/29

173b7c5bc55cさんの感想

サイコーです

あか

初出:「ほととぎす」1899(明治32)年5月10日

1

くるま

初出:「ホトトギス 第三巻第十二号」1900(明治33)年9月10日

3
2025/01/15

65c8aadc88adさんの感想

雙喜 当時は 東海道線は まだ 開通していなかったので その頃は 横浜と 神戸の間は 汽船で旅するのが ごく 一般的だった らしい。船酔いをするので 人力車を 仕立てて 帰郷することに決め 親の膝におさまり 車夫の まんじゅう傘の 影が 椎茸の 影のようであるのを 愉しみつつ 車に 揺られる 旅だった。幼くして はやくも 観察眼が 鋭かったのには 感心した。大井川は どうやって 越えたのかな。

窮理日記

きゅうりにっき

初出:「ホトトギス 第四巻第一号」1900(明治33)年10月10日

2
2021/09/05

070120b06fb3さんの感想

十一日のところがなんとも言えずに好き

かみ

初出:「ほととぎす」1900(明治33)年3月10日

0
2026/03/02

17d756a3bf9aさんの感想

敬虔な信徒が、これを読んだらどう思うのか…

どんぐり

どんぐり

初出:「ホトトギス」1905(明治38)年4月

12
2025/04/11

8eb05d040692さんの感想

奥方との思い出、良かったです

竜舌蘭

りゅうぜつらん

初出:「ホトトギス」1905(明治38)年6月

13
2023/08/28

0a2ce5f627cfさんの感想

子供のときに見た大人の侘びしげな表情というのは、稀に見るものではないから、よく記憶に残る気がする。リュウゼツランもまた同じくそうだから、連想させられることが多かったのだろうと思う。

あらし

初出:「ホトトギス 第十巻第一号」1906(明治39)年10月1日

12
2024/10/23

8eb05d040692さんの感想

旅情感ある作品で良かったです。嵐の夜の怖さと過ぎ去った後の寂寥感が描かれていて良かったです。

やもり物語

やもりものがたり

初出:「ホトトギス 第十一巻第一号」1907(明治40)年10月1日

12
2025/03/10

8eb05d040692さんの感想

とても良かった。ヤモリを軸に語る作者の思い出が、なんだか心に沁みた。

森の絵

もりのえ

初出:「ホトトギス 第十巻第四号」1907(明治40)年1月1日

5

枯菊の影

かれぎくのかげ

初出:「ホトトギス 第十巻第五号」1907(明治40)年2月1日

17

話の種

はなしのたね

初出:「東京朝日新聞」1907(明治40)年9月~1908(明治41)年10月(不定期88回連載)

83
2020/11/23

19双之川喜41さんの感想

 科学的な エピソードを 採集してある。 配膳を 模型電車でやらせる話しは 回転寿司の走りのようで 面白いけど 十五番目の しじゅうX線を 浴びている人は 原因も 治療法も判らず 死んでいくとあるのは 当時の 医療水準が 伺われると感じた。

宇宙の二大星流

うちゅうのにだいせいりゅう

初出:「東京朝日新聞」1907(明治40)年12月14日

6
2024/05/06

19双之川喜41さんの感想

 一群の星は リーラ星座より 発してくるものと 北点 カメロパルダリス星座より 発してくるものとに 大別されるようだ。動いているものが なにゆえ 止まっているように 見受けられるかの 寺田先生の 汽船に 擬(たと)えての ひもときは わかりやすいと 感じた。

汽船の改良

きせんのかいりょう

初出:「東京朝日新聞」1907(明治40)年8月30日

5
2022/04/25

250275fc68d4さんの感想

一般に科学者の文章は面白い 翻訳の文章も科学者の方が面白いことが多い いつも疑問を持ちながら生きているからだろう 80年前の作品だが十分に面白い 

写真電送の新法

しゃしんでんそうのしんぽう

初出:「東京朝日新聞」1907(明治40)年10月7日

4
2022/02/12

cdd6f53e9284さんの感想

なるほど、なるほど。写真電送技術が開発使用されたのは、明治40年というわけですね。それなら、日本で実用化されたのは、これに遅れること、どれくらいだったか調べてみました、昭和天皇即位の大典で使用された1928年だそうです。

天然色写真新法

てんねんしょくしゃしんしんぽう

初出:「東京朝日新聞」1907(明治40)年9月21日

5
2022/03/20

3afe7923d6ecさんの感想

どこかで読んで初めて知ったのだが、寺田寅彦は、書くべき随筆の本数をあらかじめ何本と設定しておいて、その達成を目指し執筆していたらしい。 なるほど、それでジャンルの豊富な程よい長さの(短さの?)エッセイが、やたら多いことが理解できた。 そういう百人斬りみたいな軽い乗りのエッセイなら、さだめし気楽なエッセイなのかと思うと、そうでもなくて、小難しい研究論文みたいなものもあって、こちらは一生懸命読むのだが、残念ながら、こちらの頭が一向についていけないエッセイに何本も遭遇したことがある。 しかし、やはり、こうして読んでみると、比較的多いのは、実験を伴う理科系の話と映画関係の話が際立っているような気がする。 このエッセイも、写真のカラー化の話題なのだが、冒頭にフランスの映画会社リュミエールの名前があるから、ジャンル的には、やはり映画の話として仕分けしても差し支えなかろう。 そこには異論もあるかもしれないが、リュミエール兄弟は、一応、映画の発明者だ。 このエッセイで述べられている色の三原色の技術的な話などは、自分が社会人になった頃には、まだまだリアルな話で実用されていたわけだから、物凄いことだと思う。 とはいえ、隔世の感はやはりあるが。 このエッセイが書かれた日付が末尾に記されている、明治40年9月21日、東京朝日新聞とある、まだ漱石が存命の頃だ、それもなんだかすごい。 すごいついでにもうひとつ、まず写真があって、それが動き始めて映画(活動写真)となり、やがて「声」(トーキー)を獲得して、やっと「色」(天然色、第1作は風と共に去りぬだったか)がつくわけだが、この明治40年の時点で、つまり映画が発明されてからまだ10年経つか経たないくらいの時点で、すでにカラー化にチャレンジしているなんて、それも驚きだ。 そうそう、映画の世界において、白黒からカラー化への移行期に名匠といわれた多くの映画監督たちは、みな悩み躊躇した。 チャップリンがそうだし、小津安二郎も黒澤明もそうだった。 人それぞれで一概に決めつけるわけにはいかないが、思うに、色がつくと、人間のリアルな生々しさが前面に出すぎてしまうからではないか、特に、肌色とか、血とか。 モノクロの中の人間は、まだまだファンタジーの中に留まる存在であり得て、我欲や狡猾などとは無縁の存在として語り得たからではないかと、ちょっとかんがえてみたことがある。 最近でも、ときどきモノクロの映画が作られるけど、あれって、なんかそれだけで名作みたいに見えてしまうから、不思議だ。

無線電信の近状

むせんでんしんのきんじょう

初出:「東京朝日新聞」1907(明治40)年9月17日

6
2022/01/19

e658d00a2cd8さんの感想

こんな時代もあったんだなあとただ頷きながら読み進めたが、とても参考になったものではないなと。それは専攻でもなければ使う機会のない分野の話だったからというわけで、それと同時に当時読んだ人間はどんなことを思いながら読んでいたかの方が気になった次第です。

ムーア灯

ムーアとう

初出:「東京朝日新聞」1907(明治40)年10月1日

4
2022/04/16

7d86d5fa9a0bさんの感想

月並みの表現ではありますが、やはり全てを照らし、それを維持するには多大なエネルギーが必要なのですね 暗闇を怖がらず、それでも照らしていかなくてはならない我が人生 生きるって難しいですね

ランプのいろいろ

ランプのいろいろ

初出:「東京朝日新聞」1907(明治40)年7月15日・16日

8
1 / 16